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VOU ANNUAIRE 1954![]() 『VOU ANNUAIRE NOVEMBRE』(VOU CLUB、一九五四年)を入手した。 鋭角・黒・ボタン http://sumus.exblog.jp/11332391/ 以来の収穫。「VOU」は「バウ」と読むらしい。本書の横文字はすべてフランス語である。ならば「ヴゥ」なのだが。 #
by sumus_co
| 2013-09-18 19:46
| 古書日録
炒めたベーコンのある柔らかい自画像![]() 『Salvador Dali rétrospective 1920-1980』(Centre Georges Pompidou, 1979)より「炒めたベーコンのある柔らかい自画像 Soft self-portrait with fried bacon」(1941)。[後註:読者の方より「柔らかい自画像、炒めたベーコン添え」というメニュー用語に引っ掛けた題のではないかとのご指摘あり、なるほどなあと思う次第です] 「美は制度である」とはどういうことか? 自分でも、適当に発言していたので少し真面目に考えてみた。いろいろ考えたが、小生の言いたいことは単純で、絶対的な美の規範はないということである。灰とダイヤモンドどちらが美しいか。あらゆるものは美しい、そしてあらゆるものは美しくない。制度とは人間社会のなかで作り出される仮の秩序であろう。ボノボなら違った判断があろうし、もし昆虫にそんな美の制度があるとしたら、それは人間の想像もつかないほど高度で精緻な存在かもしれないと思ったりする。昆虫のあの美しさがそれを裏付けるかのようだ(!?) 美という漢字は『説文』によれば「羊」と「大」の組み合わせである(ただし白川静は異論を唱えている、羊の全体であると)。大きい羊は《美と善と同意なり》。この判断からして明らかに遊牧民的な制度に基づいたものであろう。羊のいないところではそもそもこの発想は成り立たない。「うつくし」は元来が、親の子に対する、また年長者の年少者に対する愛情表現(いつくしむ)と同じ源だとも言うが、大陸的な発想とは真逆である。なにもなにもちひさきものはみなうつくし。 また思うに、美はおふくろの味である。『美味しんぼ』のなかに鮎対決というのがあった(アニメで見たのですが)。父と子、どちらの料理した鮎がうまいか。結局、父が勝利したのだったと思うが、その勝因は審判になった人物の故郷、四万十川の鮎を使ったことだった。人間は社会的な動物である。あらゆる判断基準が社会のなかで形成されていくのはごく当たり前のことである。美とはどういうものであるか、ということも社会によって決定されていく。 もっと言えば、その判断はDNAによってあらかじめ決定されている、とも考えられないことはない。それなら、すくなくともDNAを共通するグループ内においては美の秩序はある程度ひとつの基準に従っていると考えてもいいかもしれない。ボノボくらいになると、ほとんど人間と同じDNAを持っているはずだから、おそらく人間とそう違った基準で動いているわけではないだろう。 ただ、ボノボが人間になった(かどうかは分からないけれど、もしそうならどうしてボノボはボノボのままなのだろう? ボノボでいたかっただけなのか)のは明らかに(と小生は思う)ボノボ的な秩序から逸脱したからではないか。 ここで、ダリの絵に戻るのだが、昭和十六年に日本人が(いやアメリカ人でも誰でもいい)この絵をいきなり見たとしたら、いったいどう判断しただろうか。この奇妙な面の皮を前にして、そもそも美とか美でないとか、そういう判断までたどり着いただろうか、それが大いに疑問になってくる。もちろん今現在でもそういう疑念は消えないわけである。たとえば以前紹介したスペインの画家ベラスケスの自画像と較べてみよう。 自画像 ベラスケス http://sumus.exblog.jp/13420632/ おそらく十七世紀にあっては、この自画像でさえかなりの革新性を持っていたのではないかと疑われる。もしベラスケスが近代人に近い眼を持っているとすれば、ダリはまるで昆虫的な視覚を獲得したのではないかとも言えるほどその飛躍は大きいと思えるのである。 人間の面白さは(素晴らしさでは決してない)、この逸脱していく精神を保っていることではないだろうか。立派な舗装道路が一本まっすぐ通っている荒野があるとしよう。舗装道路から外れて荒地を走る者が必ずいる。少数だが。するとそこに道ができる。道ができれば人が通る。人が通れば車も通る。車が多くなれば道路ができる…行く先はまったく違った場所である。これが制度というものではないだろうか。 #
by sumus_co
| 2013-09-17 21:41
| 古書日録
出獄の日のO氏![]() 洲之内徹のつづき。『気まぐれ美術館』の「まぼろしの名作二件」にこの「出獄の日のO氏」が登場している。林倭衛の仕事のなかでも最もよく知られるのがこの作品である。詳しくは下記参照。 鬼才・林倭衛の”まぼろしの名画” 古沢襄 http://blog.kajika.net/?eid=710430 洲之内は小崎軍司の労作『林倭衛』(三彩社、一九七一年)を読んで自分の文章が引用されていることに驚く。洲之内の文章というのは「出獄の日のO氏」を戦前の内務省警保局長だった唐沢俊樹が懇望して所蔵していたことがあったという国画会の画家・馬越桝太郎の談話を書いたものだった。二・二六事件が勃発したため万一のことを慮って唐沢は急ぎその絵を林家に返したという。 これに対して小崎は疑問を呈しつつ昭和十一年二月十日の『中外商業新報』に載った「魔子ちゃんに甦る 奇しき父の画像、成長した「大杉栄氏の愛嬢と林画伯のめぐり会い」という記事を紹介している。この記事によれば、その絵はずっと林倭衛のアトリエに秘蔵されており、魔子(伊藤真子)がそれを見せてもらいに訪ねるというストーリーになっている。ただし小崎は唐沢俊樹が自分が所蔵していたことを隠蔽するためにでっち上げて書かせたものだろう、そして絵そのものは林が唐沢に買ってもらったのではないかと推測している。 しかし洲之内は、唐沢がすすんで「出獄の日のO氏」を持ちたいと考えた方がスジが通ると反論するのである。確かに、取り締まる側の人間が戦利品か記念品のようなものを欲しがっても不思議ではない。それはそれとして、小生が気になったのはそんな深い話ではなく、林が書き込んだ絵の説明の方である。 ![]() Cde Osugi. Au jour de Sa libération. Le 17 Août 19. S. Fayashi. 同志大杉 彼の釈放の日に 一九一九年八月一七日 S. ファヤシ 一番気になるのは「Cde」である。カマラド(camarade)は友達とか同僚とか同じ境遇にいる者を言うときの表現らしいが、この場合はごく普通に訳せば「同志」でなければならないだろう。現在でも左翼新聞では《DÉCÈS DE NOTRE CAMARADE PASCALE われらが同志パスカル死去》などというふうに使われる。 そういうふうに考えると、どうして「O氏」になったのかが疑問になってくる? 「Osugi」と(ただしOがCに見えるように書かれているが)明記されているにもかかわらず。この作品は大正八年に二科展に出品する間際に官憲から撤回を求められて展示されることはなかったそうだ。あらかじめ「同志」はまずいぞと「O氏」にしたのだろうか。それなら「出獄の日」も言わずもがなではないか。官憲の目をはばかるなら単に「O氏の肖像」くらいにしておくところであろう。何より余計な文言など書き込むべきではなかった。 そもそもこのタイトルはその当時からのものなのだろうか? キャンバスの裏側に作者自らが日本語で記しているとか、そういうことなら分かり易いのだが、洲之内はその点については何も書いていない。 もうひとつ、ハヤシのつづりが「Fayashi」となっていることにも注目した。小生も同じ姓なのでよく分かるが、フランス人は普通には「H」を発音しないため「Hayashi」と書くと「アヤシ」と読む。藤田嗣治が「Foujita」と綴っているのも似たような理由で、「Fujita」とすると「フュジタ」のような読み方になってしまうのである。アヤシよりもファヤシの方がまだしもと林は思ったのかもしれない。 この肖像、大杉の写真と比較すると、似ているとは言い難い。頬が痩けているのは獄中生活によるものとして許すとしても。あるいは故意にあまり似ないように描いたとか、そういうことなのではないだろうか。さすがにこれはうがち過ぎかもしれないと思いつつ、想像をたくましくしてみたくなる絵である。 #
by sumus_co
| 2013-09-16 22:02
| 古書日録
桂川氾濫!![]() 渡月橋が激流に洗われている映像が全国に流されたため、皆様よりご心配の電話やメールを頂戴しました。わが家はなんとか無事でした。しかし昨夜から今朝にかけての雨の降り方は尋常ではなく、正直、不安なところもありました。絵の方は二階に置いていますので、よほどのことがない限り大丈夫ですが、書籍の七割方は一階の書斎と玄関スペースの書棚に入れています。床上でも浸水するとかなりダメージを受けそうです。ちょっと置き方などを考え直さないといけません。 写真は本日午後二時頃の桂川、右手(写真には写っていません)に桂離宮があります。奥の橋は桂小橋です。通常なら手前の草のあるところから樹木の立っているところまでが河岸の公園になっています。 #
by sumus_co
| 2013-09-16 14:23
| 写真日乗
字考正誤![]() ![]() 長谷川良察『字考正誤』(森慶造校訂、民友社、一九一二年三版)。この本については下記の通り。 『字考正誤』は、寶永年間(十八世紀初)に長谷川良察という人物が、明代の『字考』を『説文解字』『正字通』『字彙』などに拠って*1欄外校訂した書である。その際に附された序文をもつものが、明治末年に森慶造校訂『字考正誤』(民友社)として刊行されている。この明治版は比較的入手しやすく、時には千円以下で出ることもある。私も今夏、約千円で入手したばかりである。(黌門客) * 内堀さんの『古本の時間』(晶文社、二〇一三年)を読んでいて、面白いと思ったことのひとつに「立ち上がる」と「立ち上げる」の使用がある。正確ではないかもしれないが、前半に「立ち上がる」が二度使われており、半ばより後の部分に三度ほど「立ち上げる」が出ていたように思う。それぞれ一ケ所ずつ引用すると、二〇〇六年初出の「吹きさらしの日々」に《私は揚羽堂が立ち上がる一年に付き合ってしまった》とあり、二〇一一年初出の「書物の鬼」に《私も立ち上げに加わった》とある。 「立ち上げる」はパソコンから生まれた新語?! http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20070905 この記事によれば『岩波国語辞典』第五版が一九九四年にいち早く取り上げ、『広辞苑』が「立ち上げる」を初めて掲載したのは一九九八年の第五版だということらしい。元来がパソコン用語なのでパソコンの普及とともに一般的にも用いられるようになったと考えていいだろう。そう言う意味では、内堀さんも二〇〇六年の段階ではまだ「立ち上げる」には少し抵抗があったのかもしれない。しかし近年は抵抗なく使うようになっているようだ。 たしか阿川弘之の「立ち上げる」否定論をラジオで聞いたのも九〇年代後半ではなかったかという気がする。阿川の論理は「立ち」という自動詞立つの連用形と「上げる」という他動詞が合体するのはもってのほかである、というようなことだったと思う(正確ではないです)。たしかにその通りだと小生も合点して以来(それ以前も使ったことはなかったけれども)「立ち上げる」は使わないようにしているし、文字校正を頼まれたりしたときにも否定的な意見を添えるようにしている。 「コンピューターのシステムを稼働できる状態にする」を英語では「boot up」と言うそうだ。ブートはブーツの単数形で「深靴」の意味である。そこから「けっとばす」という動詞ができ、起動するに広がったということでいいのだろう。フランス語では「amorcer」と言うらしい。「1.釣餌をつける、まき餌をする/2.開始する」。フランスには外国語を使わないという法律があるためコンピューター用語も多くはフランス語に言い換えている。だいたいコンピューターと言わずにオルディナトゥール(計算機)と呼ぶのが驚きだ。ところが e-mail (発音は「イメル」)はそのまま使うことが多く、なんとか「クリエル courriel」を普及させようとしているらしいが、ネット上で見る限りではかんばしくないように思う。さてどうなるものやら。 立ち上がるだけでなく立ち(たち)のつく動詞はかなりある。文字通り自動詞「立つ」の連用形「立ち」プラス自動詞「……」が圧倒的に多い。立ち去る、立ち直る、立ち替わる、立ち止まる、立ちすくむ等等。あるいは強意の接頭語「たち」(たちいる、たちまさる)もある。とにかく、立ち去らす、立ち直す、立ち替える、立ち止める等とは言わないのである(あまり聞いたことがないような気がするが、絶対言わないとは言えないかもしれない)。 では「立ち上げる」に有利な過去の用例はないのかと古語辞典を見ていると、ひとつだけ「立ち隠る」に対する「立ち隠す」という他動詞があった。用例は古今集・春上の一首。 山桜わが見に来れば春霞峰にもをにも立ち隠しつつ 何事にも例外というのはあるものなのだ。 #
by sumus_co
| 2013-09-15 21:00
| 古書日録
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