山口昌男『本の狩人 読書年代記』(右文書院、二〇〇八年、装幀=大森裕二)。「若き無名時代の書評から円熟期の読書論まで」と帯に書かれている。そう、初期の、主にアフリカに関する本を批評している文章はちょっと痛烈だ。よく言えば、誤訳を細々と指摘しているところがいかにも若々しくて新鮮、批判されている著者からすれば、直接言ってくれという感じか。
山口氏は言うまでもなく古本猛者。本書でも古本についていろいろと語られている。なかで「書店で面白い本を探すための私の方法」(1990)などはさすがと唸る。麻布高校での教師時代に女性にもてる生徒からそのもてる秘訣を教わったそうだ。
《どうして、そのように的確に古本が手に入るのかとよく訊ねられる。そのときには大体、昔の生徒の女性についての答えを換骨奪胎して答えることにしている。「こちらの気配を察して本が呼ぶのです。本も、書店の建物、気配、書棚の状況などをひと目見て、この本屋には何かあるな、とこちらも気配を察する。そのうえで前に身を乗り出して来る本があるのです」と、さしずめ女性であればドン・ファンの口調であるが、相手が本であるからホン・ファンと言うのだろう》
アッチャ〜、そういえば駄洒落がお得意でした。このあとに、満州事変勃発前夜を論じる原稿を執筆中、何か資料はないかと池袋西武の古書店に足を運ぶ話が続く。目録注文はすましていたが、目録に出ていない面白い本が出ているかもしれない、と思ったのだそうだ。
《置いてある他の本から、何かありそうだなという気配を感じた次の瞬間、群司次郎正著『ハルピン女』(雄文閣、昭和八年)という本が目の中に飛び込んで来た。群司次郎正は『侍ニッポン』というニヒルなチャンバラ・モダニズム小説を書いて一世を風靡した人である。この人が事変勃発のときハルピンにいて、脱出するいきさつを書いたものの他、ハルピンを舞台にした国際スパイ小説から成っているのがこの本なのである》
たしかにこういうことは古本者なら誰しも大なり小なり経験していると思う。求めていると現れるという不思議。それにしても群司次郎正(グンジ,ジロウマサ)の本はみんなかなりな古書価が付いていて驚く。
この他古本話では、神田神保町を歩いていて、ピエール・デシャルトル『コンメーディア・デラルテ』という英訳本に出会い、そのため中世の狂言にすっかり魅了されてしまった、またミハイール・バフチーン『フランソワ・ラブレーと中世・ルネッサンスの民衆文化』にも同様にして北沢書店の書棚の下段の片隅で出会い、それらの体験が「道化の民俗学」に結実するというあたりも、強烈な古本力だなあと感心しきりなのである。