昨日の『現代』昭和十一年十月特大号より「文壇ゴシップ」。新居格、岡本一平、長谷川時雨、片岡鉄兵、に続いて登場するのがこの人。
井伏鱒二である。晩年の丸い顔しか知らないと、かなり意外なインテリ美青年だ。ゴシップの内容は、林芙美子が井伏に会うと、挨拶代わりに「あれ、どうなさつてるの?」と言うことについて。すると井伏は「五ケ年計画です」と答える。そのココロは? 林がフランスから帰ったとき、井伏が「そんな土産はいらないから、風呂桶を呉れ給へ」と要求したのだそうだ。
『風呂桶を?』
『洋行して帰つて来て、あんたも偉くなつたんだから、もつと、立派な家へ引越さなくちや駄目ですよ』
『?』
『古き壷には古き酒、立派な家には、それにふさはしい大理石の風呂桶、あんな鉄砲風呂なんぞ呉れてしまへ』
たうとう風呂桶をせしめてしまつた。
が、井伏君、稼いだ金は飲代。いつになつても湯殿を建てない。さては?『五ケ年計画』と云つて逃げてゐるものだとわかつたのである。
……とさすが井伏らしい(?)行状だが、これですぐに思い出したのが、先に紹介した市川慎子さんの『おんな作家読本』(ポプラ社、二〇〇八年)、そこに林芙美子邸の風呂場の写真が出ていた。それがこちら、浴槽は大理石ならぬ総檜だとか。
ついでにもうひとつ「新語流行語」を紹介しよう。
《マークする
印をつけるーーといふ英語。即ちねらひ打ちのこと。ベルリンのオリムピツク陸上競技の華一万メートル、五千メートルで、俄然、男をあげた我が選手村社講平は、フインランドの強豪数名にマークされて、残念ながら四等に落ちた。[略]転じて、『君はあの断髪をマークしてるんだらう?』『いや、違ふ。』などと盛んに使はれる。》
《ダツシュ
英語の突進。[略]新聞のスポーツ欄に盛んに使はれる。転じて『あいつア、ダツシュがきく』と、云へば、相当厚かましい意》
《ゼツタイ
絶対のことだが、片仮名で書かぬと気分が出ない。松竹大船あたりの映画人と十分も話してゐると、このゼツタイが矢鱈に飛び出す。『水戸光子は美人だね。』『あツ! あれや、ゼツタイだ。』『今晩、躍りに行かうか。』『うん、ゼッタイだ。』『ここの便所はキレイだね。』『あツ、ゼツタイだ。』》
《ターキーを観る
松竹レヴユーの女王たるターキー水の江の驚嘆すべき人気から、ターキーはレヴユーといふ同意語に転訛してしまつた。[略]『今度のターキーで、江戸川蘭子がとてもいいんですつてね。』『ええ』てな調子。》
ちゃっかり松竹の宣伝になっている。我々にとって水の江滝子といえば「ジェスチャー」のおばさん。本名は三浦ウメ(後に水の江滝子に改名)で、今また話題になっている三浦和義は甥にあたるそうだ(実子説ありとか)。あまりにも人気が高かったためか、その後半生はかなり波が荒かったようである。本年九十三歳のはず。