井上友一郎『竹夫人』(文明社、一九四六年、装釘者=花森安治)。花森のデザイン・パターンのひとつ。箪笥の上の器物。二色をじつにうまく配置している。発行人は田宮虎彦である。
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『Quelle(クヴェレ)』55号(クヴェレ会、二〇〇七年十二月)を頂戴した。ドイツ文学およびドイツ語の研究をめぐる諸問題の検討を目的とした雑誌とのこと。大阪大学言語文化部ドイツ語資料室が事務所となっている。Quelle は泉、源、出所などの意味のようだ。フランス語なら「ケル」と発音し「どんな」(=what)の意になる。ともに女性形。
江川英明氏の「百鬼園の独逸語」を面白く読んだ。たしか以前も大泉黒石について書かれたものを紹介したと思うが、こちらは法政騒動の顛末。調査の行き届いた力作だ。内田百間(戦前は間を使用)は東京帝大文科大学でドイツ語を専攻し、陸軍士官学校のドイツ語学教授に任官するも、借金問題で辞任、次いで野上豊一郎に引っ張られて発足したばかりの法政大学の教授となり大正九年から昭和九年一月まで在籍した。
ドイツ語教師としての百間をその著作や生徒たちの回想から考察し、さらには法政騒動の本質に迫っている。簡単には大学権力の中心にいた野上に与しない若手教員たちが森田草平を担いで、野上や百間らを辞職に追い込んだ、そういう事件だった。詳細をここで書いてしまっては労作が報われないので、ご興味のおありの方は直接入手されたいが、「おわりに」のところに
《森田派の人々に法政大学とはまた別の繋がりがあることに気付かされた。日本近代史上最大の言論弾圧である「横浜事件」と、その犠牲になった「昭和塾」である》
云々とあるのが鋭い指摘のように思う。もし「おわりに」に書かれていることが中心に論じられていれば、さらに凄みのある論考になっただろうが、このスケッチだけでもなかなかのものだ。
大学を辞めざるを得なかった百間は、それを機にプロの物書きとして目覚めるわけだから、百間の愛読者にとっては有り難い事件だったとも言えるかもしれない。