内田魯庵『紙魚繁昌記』(書物展望社、一九三三年三版)の口絵写真。《四十年代の魯庵》とある。明治四十年代か。慶応四年(1868)生れだから四十歳代というに等しい。
先日バラバラッとめくって、書斎を出て街に……、というくだりを目にした。あ、寺山修司はこれをパクッた、いや参考にした、のかと思って、そのまま数日が経った。今日、ブログに書いておこうと思い立ち、探してみてももう見つからない。この本じゃなかったっけ、と疑いはじめた。なにしろ耄碌してるのだ、最近。
ページをめくり倒して(倒さんでもよろし)、ようやく、《此頃氏が「新潮」三月号に発表した極めて興味深い氏一流の皮肉な詩趣を横溢したアンチ読書説がある。命題は『書斎を出よ』で、書斎の臭ひを脱せよといふ非読書論である》というくだりを見つけた。氏とは野口ヨネ(野口米次郎)のこと。だが、先日読んだのはここではない。もう諦めた。
ツンドクという言葉もこの本に頻繁に登場する。ツンドク礼賛である。ツンドクは魯庵の造語かどうか、それは知らないが、喧伝したのが魯庵だということは間違いないようだ。
《読書子の習慣として絶間なく新らしいもの珍しいものと漁るが故に勢ひ読書量以上の書籍を積むに到るは必然の結果である。且読書子としては自分の書架の書が尽く読古しの糟粕であるのは堪へ難い苦痛で、全然未読の或はマダ眼を通さないものが若干冊無ければ知識の探求が行詰つた心配がして心細さに堪へられない》
《ツンドクは決して無用でも呪ふべきものでも無い。書籍の身の上となつて見れば所謂韋編三度断つといふまでに余りに過度に濫読又は熟読数十遍数百遍されて表紙がちぎれ紙が破られ、手垢だらけ汚じみ膩(あぶら)じみるまで読まれるのは寧ろ虐待である。ツンドク先生の書架の上に美しく飾られて、アンカツトの一頁をだも切らず十年二十年は魯か五十年も百年も真新らしくウブのまゝに手厚く秘蔵されるものが一冊でも余計に有る方が永久に残存する所以で、書籍としては愛読者の知遇に感謝するのは勿論だが、ツンドク先生の手厚い保護にも亦深く感謝する》(大正十五年六月「學燈」所載)
さらに決定的な発言はこうである。
《書物は読んで利益があり興味があるのは勿論であるが、読まないでも亦書物から醞釀(ウンジョウ)される雰囲気に陶酔する事が出来るので、此の書物に酣醉して得られる忘我の恍惚境が愛書の三昧である》(大正十五年七月)
いよいよツンドクに励みたいものだ。