岡崎氏の新刊『昭和三十年代の匂い』。学研新書である。 mixi で原稿の一部を読んでいたため、仕上がりがどうなっているのか楽しみだったが、期待を裏切らない出来になっている。上の写真は帯に使われている岡崎友人宅のテレビ記念撮影の図(訂正しました)。火鉢(写真手前に火箸が見えている)、ミシン、ミシンの上にあるのは電熱器(?)など細部が豊かな、なんとも味わいのある写真ではないか(前に坐っているのが岡崎氏)。昭和三十四年の早春らしい。日本ではこの年の皇太子成婚を機にテレビが普及した。イギリスでエリザベス女王の戴冠式(1953)が普及のきっかけだったのと似ている。
小生は岡崎氏より二歳年長で、二歳の違いが、同じテーマに対してちょっとした違和感や記憶の差異を呼び起こして、そこがまたとても新鮮だ。同じ時間を生きていても、かなり感じ方は違って、何か別の時代のような気にもなってきたり。まあ、それもそうだろう、こちらは讃岐の農村地帯に生まれたわけだから(ちょっとスネテます)、坪内祐三『東京』にしても、この岡崎武志「大阪」にしても、やっぱ都会児はチゲーな、と感嘆する箇所も多い。
土管のある原っぱというアイコンにしてからが、それらは小生にとってはマンガの中の風景でしかなかったようにも思う。あるいは時間差がかなりある。そもそも土管(コンクリート管)というのは排水管(
大口径は井戸の胴に使われたものらしい)だから、排水管があるということはそこに家が建つということだろう。戦後の人口都市集中の象徴だ。狭い家に大人数の家族が押し合いへし合い暮していながら、原っぱ(空き地)がいたるところにあり、土管が置いてある。なんたる矛盾。農民だった地主が肥汲みに回っていた、ところが土地を売って地主は運転手つきの車に乗り、そこに建った住宅はみな水洗式になる。その過渡的風景こそが土管のある原っぱじゃないだろうか。と本書を読んで思いついた。
とまあ、昭和三十年代のアイコンをあれもこれも手際よく整列させて、自分史をからめながら見事にその「匂い」を描き出した、一粒で何度もおいしいキャラメルのような一冊である。