
ミック・ジャガーやスタンリー・キューブリックと小生は誕生日が同じである(むろん年齢は違うが)。夏風邪もなんとかしのぎ、平常の85パーセントくらいまで回復したので誕生祝いの食事に四条河原町まで出かけた。
高島屋七階、三嶋亭のあみ焼き御膳に生ビール。猛暑日にはこれがイチバン。ビールがうまい、と感じられたので、体調もまずまずだ。

風邪熱が下がれば、古本熱がぶりかえす。食後、高島屋からいちばん近い三密堂書店へ直行。店内の二百円均一で高安六郎『光悦の謡本』(檜書店、一九五七年)の裸本を。見返しの光悦本を模倣したキラ刷りに魅かれた。このブログでも昨年の五月二十四日に『阪急美術』44号を紹介したところで触れた「光悦の謡本」など、謡、能、俳諧に関するエッセイを集めた内容である。高安六郎は明治十一年大阪生れ。高安月郊・道成の弟、汲江と号す、医学博士。大阪第一尋常中学校(現北野高校)、東京帝国大学医学部卒業後ドイツに留学、帰国後、副院長として兄の道成を助けた。
半月ぶりの均一張り付きに、心地よい疲れを感じた。
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マン・レイと余白で」を読んでいると、名古屋で鰻を食したとき、《味が落ちていてがっくり。ほくほく、むっちりの鰻じゃなくなっていた》という感想が載っていた。偽装問題もあってか土用のウナギもいまひとつパッとしなかったらしい。それはそれとして、面白い記事を青木正児『琴棋書画』(春秋社、一九五八年)に見つけたので引用しておく。タイトルもそのまま「支那の鰻料理」。まずはこうある。
《聞くならく東京には鰻屋と称する専門店が繁昌してゐると》
青木先生は山口県生れ、京大時代、その後教師としても京都に住んでいたが、先生によれば、京都には鰻屋はなく、川料理屋で鯉や鮎やアマゴを出した最後に「ウウ」という鰻の蒲焼でご飯を出すだけだったようだ(このエッセイは昭和二十九年の発表)。試しに検索してみると、祇園の「梅の井」が大正創業の鰻屋ということになっているが、ここは江戸焼きだというし、実際のところはどうなのだろうか。
まあそれはいい。問題は中国の鰻。北京では街上で鰻とも蛇ともつかない魚を水に生かして売っているそうで、青木先生は、試食をするために専門の料理店を訪れる。魚は好まれないので普通の料理屋では鰻などは取り扱っていないそうだ。ちなみに大正十三年〜十四年ごろのこと。
《此の魚の筒切を醤油で煮付けたのみで、油がぬら[繰り返し記号]して気持悪く、味ないものであった》《この魚の名の鱔(ゼン)は俗字で、正しくは鱓(ゼン)と書き、黄鱓・青鱓・白鱓などの種類がある。私の試食したのは黄鱓で、青鱓は鰻鱺[ルビ=
マンレイ]とも称し、日本のウナギに相当する》
というところでマンレイ・イスト氏はマンレイを食していたことになる。それにしてもこの中国のウナギが今の世の中では日本のウナギに取って代わっているわけだから、青木先生ご存命ならば、なんとおっしゃることやら。