川端康成を囲む写真についてはご教示をいただいて、かなりスッキリした。映画関係者だとは思ったのだが(どこかで読んだ記憶があった)、岡田桑三だった。前から一度試してみようと思っていた日本近代文学館の写真検索も初めて使ってみた。便利だ。ただし阿部金剛ではヒットしなかった。
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『図書新聞』2875号(先日内堀さんが佐野展について書いてくださった号)をみずのわ氏が送ってくれたのを見ていると、トップ記事が「小沢信男氏に聞く、大活字版『ザ・花田清輝』上下」。これはかつてヒットした「ザ」シリーズの『ザ・清輝』(第三書館、一九八六年)を二巻にして刊行したもの。大活字というのが読者層を思わせてちょっとさびしい。そんなことはともかく、巻頭インタビューで解説を書かれた小沢さんがいいこと答えておられる。共同作業ということと著作権について。
《文学というものは作家様が一人でこつこつ作って、それが作家様の私有財産であるらしいが、あるときハッと気づけば、そうと決まったものでもないんじゃなかろうか。といって、すぐに「一人で書くのをやめます。印税もいりません」ということでもないですけどね。》
《大昔には作家様なんて高額所得者がいたもんだろうか。歌のうまいやつは歌え、絵のうまいやつは描け、というふうにして、それで全体が豊になって、それぞれに個がかがやく。そういう社会が近代の向こうの方にこそあり得るだろう。》
《はやい話が著作権は戦後三〇年から五〇年になり、いま七〇年にしようという話になっているでしょう。ミッキーマウスでもっと稼ぎたいディズニーランドに、日本文藝家協会が同調するなんてのも、おおかたの目には、こっけいな眺めじゃないですか。》
内田樹の研究室「パイレーツ・オブ・チャイナ」に同主旨のことが書かれている。
《けれども、「創造物」には市場も需給関係もビジネスもない。
それは人類が共有すべき「パブリックドメイン」である。
著作権の保護期間が切れるというのは、テクストが「商品」的性格を失い、「創造物」のカテゴリーに移行する、つまり「私有財産」から「共有財産」に変じることである。
すべての創造の「落ち着くべき先」は誰の所有にも属さない人類共有の財産となることである。》
「コピーレフト」ということですな。コピーレフトについては各自検索されよ。
N氏よりイギリスの古書目録が何冊か届いた。内容はいずれ紹介するとして、これは六月に終了した夏のロンドン国際ブックフェアーのパンフレット。表紙はロンドンのグレちゃんか。