雑誌『詩人』(矢代書店、一九四七年一月一日、表紙=庫田叕)。カナブンによれば六号まで出ているようだ。
1 1巻1号昭和22年1月号(1947年)創刊
2 1巻2号昭和22年2月号(1947年)
3 1巻3号昭和22年4月号(1947年)
4 1巻4号昭和22年5・6月号(1947年)合併号
5 1巻5号昭和22年8月号(1947年)
6 1巻6号昭和22年11月号(1947年)
矢代書店は京都市中京区丸太町通河原町西にあった。発行人の矢代庄兵衛は、はっきりしないが、呉服商の矢代仁および回天堂薬局を経営していたようだ。ドイツロマン派文学研究の小牧健夫を顧問として出版に乗り出した。『随筆』という随筆雑誌も発行している。『詩人』の編集責任スタッフは長江道太郎と竹中郁(ともに詩人)。
これは『石神井書林目録』75号に出ていた。それにしても今回は椎の木社の本がかなり並んでいて興奮させられた。発禁の村山知義もスゴイ。昨今話題の小林多喜二『蟹工船』も出ていた。発禁前の削除本というのはそうとう珍しいらしい。こういうのを均一で見つけたいが、凡人ハンドでは無理とあきらめる。
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『洲之内徹文学集成』の「忙中閑」(『記録』第七号、一九三七年一一月)に松山時代の若き洲之内を取り巻く雰囲気がよく分かる描写があった。
《夜、小説研究会のために『女の一生』を読みかけると岡本純、村上峯保の二人が来る。二人が帰った後、二頁程読むとM姉、M姉が帰ると教会の帰りだといって聖書を持ったFさんが来る。硬い感じの赤い縞のセルがお下げによくうつっている。袖口から手を引き込むようにして肩をすくめて、大きな眼を少し上眼使いにして坐っている。
僕のところには大抵の晩は二人か三人の来訪者のないことはなく、それで本を読みはじめるのは十一時になる。これも閑故の忙しさである。
M姉はカイエ・ダアルを披(ひら)いてピカソを見て居る。何かのはずみに、矢張りスペイン人でなければ出来ない仕事だと思うとピカソのことを言ったら「つまり血の問題というわけね」と皮肉な笑い方をされる。何か言いたいが、言っても仕様がないというお互いの気持である。『シュタット・ウンド・レヴォルチオン』の原本を僕のところから持って行ったのはこの人である。一向返して来ない。返して来ない気持がよくわかるから僕も返してくれと言わない。今でもこう云う本になると、お互いに私有物という気のしないのは可笑(おか)しなものである。》
お下げの似合う大きな眼を少し上眼使いにする少女Fさん、まさに洲之内好みと言えよう。それにしても『カイエ・ダアル』まで書架に備えていたとは。やはり坊ちゃんだ。『カイエ・ダール(Cahiers d'Art)』 はギリシャ人のクリスチャン・ゼルヴォス(Christian Zervos、1889-1970)が一九二六年にパリで創刊した美術と文学の雑誌。一九六〇年に終刊。フランスの現代美術を三十年間にわたってプロモートした。
オランダのデン・ハーグにある古書店
ANTIQUARIAAT J.A. VLOEMANS にいろいろ美術建築関係の雑誌がアップされているなかに『カイエ・ダール(Cahiers d'Art)』も見える。