松本竣介「白い建物」、一九四一年あるいは四十二年頃の制作。洲之内コレクション(宮城県美術館蔵)。国電の水道橋駅を後楽園側から見た図という。戦時下、太平洋戦争に突入していた時期、昭和十六から十九年にかけて竣介は最も充実した作品を残している。
先日のギャラリートークで強調しようと思って、舌足らずになってしまったけれども、フェルメールが戦争の時代に生き、モランディも第一次と第二次大戦間に重要な仕事をした。これは彼らの絵から直接的にはうかがい知れない。のんきな絵とも見える。しかし、どんな絵描きだって戦争のない時代を生きたことはないはずだ。そもそも戦争のない時代がなかったのだから当たり前だろう。今だって戦いは絶え間なく続いているし。
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『洲之内徹文学集成』をあちこち読んでいる。例えば、小説「ある受賞作家」(『新潮』一九七一年六月号)に神田神保町が出てくるので引用してみる。
《神田では、駿河台下から今川小路のほうへ向かって歩いた。[略]ある店で、彼はポオ全集を見つけて、しばらく手にとって、それを眺めていた。今日、授賞式で貰った金を彼は持っている。石崎は買うかな、俺なら買うがな、と思いながら、僕は傍で待っていた。しかし、彼はやがて本を本棚に戻して、また店を出た。軒並みの店を丹念に覗いていったので、神保町の交叉点を渡るときには、交通信号の赤青の燈は、もう完全に夜になった街の空の暗さの中で輝いていた。交叉点を超えてから、また何軒目かの店で私は、本多秋五の「戦争と平和」論を見つけて、それを買った。何年も前から、いちど読みたいと思っていた本であった。金を払っているとき停電して、その界隈がまっ暗になり、それをしおに、本屋歩きを切り上げた。》
文中「石崎」は石崎晴央で、新潮社の第一回同人雑誌賞を受賞(一九五五年)した実在の人物。大江健三郎が「飼育」で芥川賞を受けたとき(一九五八年上期)にも石崎は候補に挙っていた。これはもうほとんど小説というよりもエッセイである。私小説になり切らないところが、洲之内の、論争好きな性格、正直さから来ているのかも知れない。それはともかくとして、神保町が停電した光景は今となってはちょっと想像し難いものがある。
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本日は個展の残務整理をいろいろと。それから、鈴木地蔵さんの本の装幀。オビのレイアウトを仕上げてしまい、これで終了。書名は『文士の行蔵』。「行蔵」(こうぞう、かうざう)とは『論語・述而』にある言葉で「行」(世に出る)と「蔵」(退き隠れる)、ひいては世に処する態度のことを謂う。勝本清一郎、久保田万太郎、上林暁、古木鐵太郎などシブイ文士たちを取り上げておられる。まさに地蔵の行蔵である。乞うご期待。