モランディ美術館で求めたガイド本『MUSEO MORANDI guida』(Grafis Editioni, 1993)。略歴、油彩、水彩、版画、デッサン、アトリエ写真、モチーフ、蒐集美術品までコンパクトにまとまっていて便利。ただしイタリア語。
モランディ(1890-1964)がイタリア以外の美術ファンに知られるようになったのは一九四八年のヴェネチア・ビエンナーレでデ・キリコ、カッラ、モランディの特別展が開かれて以降のこと。おそらく一九六〇年公開のフェリーニの映画「甘い生活」(La dolce vita)に登場してかなり知名度を上げたのではないだろうか。シーンはよく覚えているが、どういう情況だったか、くわしくは思い出せない。多分、自殺する評論家か何かが持論を展開するときに部屋か回廊のドアの上の壁に静物画がかかっていて、賞讃の言葉が語られたはず。
モランディは生涯を故郷のボローニャで暮した。イタリア国外に旅行したことがないと言われているし、結婚もしなかった。ただ犬を飼っていたようだ。
フェルメール(1632-75)もやはり故郷のデルフトで一生を終えた。ただし愛妻と十五人の子供をもった。うち四人は幼くして亡くなったというが、二十二年間の結婚生活だから奥さんもたいへんだったろう。現在フェルメール作とされる絵は四十点に満たない。そのなかの少なくとも五点に明らかに妊婦と分かる女性が描かれている。妊婦モデルの多くは妻だったと考えていいかもしれない。晩年は娘も描いたようだが。
フェルメールが生まれた翌年(寛永十年)、徳川幕府は奉書船以外の海外渡航および五年以上海外に居住した日本人の帰国を禁止した。フェルメールが十六歳(1648)のときオランダ(ネーデルラント連邦共和国)が独立を認められた。その前年、徳川幕府はポルトガルとの通商を拒否し、一六五五年にはオランダとの相対貿易(自由貿易)を認めている。オランダの全盛期だった。だが、イギリスとの三度にわたる戦争、フランス(ルイ十四世)による侵略への応戦など、なかなか激動の時代でもあった。一見おだやかで静かなフェルメールの絵にも愛国心に燃える激しい心の動きが隠されている。
などという話はあまりしないでしょう(少しはするでしょう)が、本日21日午後4時より、ギャラリー島田の地階でスライドショーを行います。あいにくの雨のようですが、おヒマな方はぜひお越し下さい。