生田神社境内にあるユーハイム商店の石文。他にもドンバルとかいろいろな店の名前が見つかって面白い。つぎはフロインドリーブの中山手店。閉鎖中。現在は加納町の方にある教会が本店になっているもよう。この道がハンター坂で2ブロック登るとギャラリー島田、写真右手に西村珈琲店があり……と以上は初日に撮った写真より。本日は自宅で原稿書きをしておりました。
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古本者SSさんにもらったもう一冊の本が山口誓子のエッセイ集『宰相山町』(中央公論社、一九四〇年)である。宰相山町(さいしやうやまちやう)は山口の自宅のあるところ。当時、山口は北浜五丁目の住友本社に勤めていた。そこからの帰り道、山口は周防町の通りを歩くのを習慣としていたようだ。「周防町筋」と題したエッセイに古本屋が登場する。
《私は第一にO・S堂といふ古本屋のことを書かねばならぬ。これは極めて異色のある古本屋である。そこの書棚には芸術に関する書物がぎつしり充満し、驚くべきことにはそのひとつひとつが選ばれたものである。私はこの店の前を素通りすることが出来なくて、店のなかに這入つてゆき、見覚えのある書物が、まだ売れてゐないのを見て安堵して出て来る。薄暮には、私ひとりの為に電燈が点り、私が出て来ると、その電燈が消えた。
私はこゝで、「大坂城誌」といふ碧い帙に入つてゐる和本と「小出楢重画集」を買つた。私は鼠がものを引くやうに、こゝの本を自分の書棚に運ばうと思つてゐる。》
O・S堂は尾上蒐文洞。橋爪節也氏によれば《古書蒐集癖がこうじた尾上政太郎が昭和八年、「趣味の古本屋」を開き、「ホンヤ」のネオンサインが心斎橋筋から見えた》という。肥田皓三先生の『上方風雅信』(人文書院、一九八六年)には天牛書店の大番頭尾上政太郎の古希を記念する『紙魚放光』についての紹介文が収められている。戦災で蒐文洞は烏有に帰し、戦後は天牛新一郎翁の補佐をずっと務めたということである。文中『大坂城誌』は明治三十二年の小野清私家版か。『小出楢重画集』は昭和十一年の春鳥会版か、あるいは昭和七年の同限定版か。O・S堂、今ならさしずめ天神橋筋のハナ書房さんというところ。
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◉文字の話/本の話『たまや』をめぐって 〜6月21日(土)まで延長
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