スタインベック『戦後ソヴェート紀行』(角邦雄訳、北海道新聞社、一九四八年、装幀=脇田和)。一も二もなくこの表紙のデザインに魅かれて購入。脇田和は1908年東京生れ、新制作派協会の画家、東京芸大で教鞭をとった。佐野繁次郎が創刊号から表紙を描いていた
『銀座百点』の1983〜2000年に表紙画を担当した。
一九四七年にニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の特派員としてスタインベックはソ連を旅してレポートを書いた。見たままの戦後ロシアということでたいへん大きな反響があったそうだ。写真家として同行したのはロバート・キャパだった。
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だいたいトーク原稿を仕上げた、と思ったら、たいへん重要な発見をしてしまった。佐野繁次郎が二十歳の頃、大石七分(スティーブン)のアトリエ付き住宅を借りられたのは何故かということについて。当時大石はヨーロッパへ留学していて空家になっていたのだが、橋秀文氏作成の佐野繁次郎年譜には、佐伯祐三(佐野の親友だった)と大石が川端画学校で共に学んでいて知り合いだったためではないか、と推測されている。もちろん、そうでないという証拠があるわけではない。しかしもっと有力そうなルートを見つけた。それに付随して驚くべき事実が明るみに出た!(かなり大げさ)
ああ、その事実に気付いたため、また一冊資料を注文してしまった。上京するまでにチェックしておきたいのだ。そして原稿の構成も大幅に変更しなけれならない。泥沼でやんす。