『女性改造』(改造社、一九五〇年八月一日、表紙=古沢岩美)の口絵色刷「マチス」。佐野繁次郎「マチスと色」という文章が掲載されている。これは翌昭和二十六年に東京国立博物館で「 アンリ・マチス展」 が開かれることを意識した記事であろう。
その日本初のマチス展の開催には硲伊之助とアデリアの夫妻が尽力したそうだ。彼らは学生時代からマチスのアトリエに出入りしていたという。硲は一八九五年東京生まれ。十六歳でヒューザン会に出品。第一回、第五回の二科賞を受け、一九二一年渡欧、約十年間滞在。その間、マチスに師事した。佐野繁次郎は一九三七年にパリに渡り、初めてマチスに会っている。佐野も二科に出していたわけだから、あるいは硲の紹介があったのかもしれない。
佐野の文章は、マチスの絵を誰にでも分かるように説明してくれ、という依頼で書かれたようだ。絵を言葉で説明する難しさに閉口しているようすがよく出ており、そのなかに佐野の芸術に対する考え方がはっきり示されてもいる。
《絵は詩みたいなものである。
大づかみな言い方をすれば、白いカンバスになにを書いてもいい。
白い面に、真中へ一本、黒い筋をひいて、
『これは俺の絵だ』
というのもでてくるわけである。
絵とはなにか、芸術とは何かというのは、とても言葉や文字ではっきりさせられるものではあるまいと思う。それは、けっして、
『わからん者にはわからんのだ』
と、つっぱねるわけではない。》
[略]
《美というものをつくるため、極端にいえば、画面に、なんの形で、なにが描いてあってもいい。
いろんな色がついて、それがなんに見えてもいい、一つの美が、でき上るとでもいうか、表現され、創作されていればいいのである。
[一行空き]
だからーー、僕も、まだまだ思うようには描けないのだし、口はばったいことはいえぬのだが、ーーどうも、各自、思い思いの、ーー芸術は自己の表現だというよりしかたがない。》
じゃあ「美」とはいったい何なのだ? と突っ込みたくなるが、要するに、言葉でも文字でも、そして絵でも、容易に表現できないもの(あるいはどう表現しても露になってしまうもの)……それは自己である、ということか。