昭和三十一年頃の雑誌に旧所蔵者がカバーとしてかけていた包み紙。上から大阪心斎橋のベビーショップ・モモタロウ。これは現在の心斎橋筋一丁目のモモタロウビルのことだろうか。二番目は高島屋。高島屋と言えば、薔薇の包装紙。昭和二十七年、飯田慶三社長就任にあたってバラをシンボルフラワーとして包装紙のデザインにも用いたとのことだが、それ以前の包装紙か(?)。三番目は京都駅観光デパート。現在は京都駅一階、ザ・キューブ・ポルタの京名菓売場になっているようだ。
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Mさんより以下のようなメールを頂戴した。戦時下の出版というのは制約が厳しい分だけいろいろな葛藤がうかがえて興味深い。
《今日、扉野さんの本を読んでおりまして、思い出しましたので記します。
すでに扉野さんはご存知のことかもしれませんが、永田助太郎は、昭和15年11月発行の「現代女流詩人集」山雅房を山田岩三郎という人と二人で編纂しています。収録されているのは、生田花世、深尾須磨子、竹内てるよ、森三千代、坂本茂子、英美子、上田靜榮、長瀬清子、大野良子、江間章子、中村千尾、荘原照子、露木陽子、馬淵美意子、上村草子です。各人の写真も付いていますので雰囲気も分かります。気になったのは、後記の中で刊行者川内啓五が「本女流詩人集の編纂を、永田助太郎、山田岩三郎両氏に依嘱したるも、這箇の條に照し大方読書子はよくこれを諒とせらるることと信ずる。」と何か憚りがあるような書き方をしていることです。巻頭は生田花世の「日支詩篇」という戦争詩ですが、それ一色というわけではないようで、そのあたりの気遣いでしょうか。その2年後の昭和17年発行の深尾須磨子編「新女性詩集」鶴書房は見事に戦争詩ばかりです。》
山雅房(さんがぼう)は昭和十四年からの刊行物が見られ、戦後も二十五年頃までは活動していたようだ。高村光太郎『道程』改訂版(一九四〇年)、金子光晴『マレー蘭印紀行』(一九四〇年)、『山之口貘詩集』(一九四〇年)、『歴程詩集 紀元弐千六百年版』(一九四一年)、永田助太郎・大島博光・三ツ村繁蔵共編『現代詩研究 戦争と詩』(一九四一年)などの詩書を出すとともに、時局的な出版も熱心に行っている。むろんそうじゃないとすぐに潰れてしまうだろうが。