
本日は、
エレファント ファクトリー コーヒーにて、近代ナリコさんといっしょに『spin』03に署名をした。今週の土曜日には、執筆者全員のサイン入ヴァージョンが東京堂書店に並ぶ予定。じつはこれでみずのわ出版の在庫はすべて出てしまった。それらは、東京堂書店の他、海文堂書店、聖智文庫にも並ぶ予定。
茶店へ行く前にコトクロス(四条河原町北東角)のブックファーストに寄った。詩集コーナーあたりをぶらぶらしていて現代詩文庫の『衣更着信詩集』(思潮社、一九八七年)を見つけた。手にとってみると、収録されている散文のひとつにこうあった。
《白鳥尋常小学校
香川県大川郡白鳥村にあった。わたしはこの村で生まれたが、物心ついたときには父の転勤のために大阪にいた。五つの年に大病をして、以来虚弱な体になった。六歳で母が死んだ。この二つのことはそれからの人生に影響するところが大きかった。就学できるかどうか懸念され、早生まれなので一年延ばしてもよかったのだが、いなかへ帰って、いわば試験的に入学した。》
以前にも衣更着信(きさらぎ・しん)を同郷の詩人だと書いた。しかしまったく同じ村の出身だとは知らなかった。老母より少し年上だが、そう年齢は違わない。昭和十二年、衣更着は県立大川中学校へ進む。現在の三本松高校。そこで朝倉文夫の甥(ということは朝倉響子、摂の従兄にあたる)合沢三郎が新卒の教師として赴任して来た。衣更着の文章に目をとめ、親しくなった。合沢は『四季』などの雑誌を衣更着に見せながら《立原道造が伸びる》と言い、杉山平一にも注目していたそうだ。
このあと衣更着は『若草』に投稿し始め、中桐雅夫、鮎川信夫、森川義信らの名前を知ることになる。上京して明治学院に進み、鮎川らの東京ルナクラブに参加する……といった青年時代である。