
名古屋で買った書肆ユリイカ版『宮沢賢治』にはもうひとつオマケがあった。それがこれ、中村書店のしおりである。むろんデザインは北園克衛だ。詩書の専門店として知られていた。田村七痴庵翁が中村書店のことを詳しく書いてくれているので、北園克衛との関係の部分を引用しておく。
「渋谷宮益坂上の中村書店に行ってみなさい」
《そして昭和二十四年、中村三千夫は、中村書店を創業する。宮益坂上に、なんと、実家の納屋を横浜から移築して、はじめたという。立派な納屋じゃないですか。それには実家からの援助もあったのだろうけれど、そこでまず自分の持っていた本を売りはじめたという。そればかりでは勿論、ない。
「店を開いた時は、店ばかり広くて売る本がなかったんだよ。とうさんは、友達の家から本をかりてきたので体裁だけはどうにかなったんだけど、お客さんが、やっと買ってくれると思うと、友達の本だろう、断るのに一苦労さ。ハッ・ハッ・ハッ」
とは、中学二年だった中村千恵子さんから聞いた話。その友達はだれだったのだろう、あの坊さんだったかもしれない。その年から二十年。中村三千夫は詩書の専門店・宮益坂上の中村書店として、ひた走ることとなる。
あけて昭和二十五年から、三千夫は、中村書店の古書目録『ビブリオフィル』をつくりはじめる。おおよそ昭和三十年まで、B5判ガリ刷り五百点ほどがのるその目録の表紙を北園克衛がつくった。9号に一九五七・六のメモがあり12号では活版となっている。
さまざまな詩人とのふれあいがつづくが、北園克衛もその一人。中村書店のしおりも、北園による。その頃北園克衛は広尾に住み、北園やVOUの詩人たちの詩集、又『VOU』も、取り扱っていたという。》
また中村は瀧口修造の作品を出版するために資料を収集した。瀧口は戦災によって蔵書などをすべて失っていたため、作品集を作るためには初出誌等を集める必要があったのだ。それは思うように進捗せず、書肆ユリイカの伊達得夫もまた瀧口に求めていたが、実現しないまま伊達は去って行ってしまった。そして中村も。享年四十六。
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みずのわ放送局の平野義昌(海文堂書店)「本屋のこと、思い出すままに」が更新された。第四回。旧・南天荘書店代表取締役および旧・コーベブックス専務だった北風一雄氏について。そもそもの初めは古書店「中央堂書店」を昭和十三年に開業したのだそうだ。
参考資料は、須田京介『風果てぬ 北風正造外伝』(神戸新聞総合出版センター、2008年3月)、北風一雄『星と風』(1992年12月)、『六甲管見』(1994年6月、いずれも自費出版)。こういう資料はほんとうに貴重である。