昨夜のトークライブ会場に行き着くまでに求めた、日政『衣裏宝珠鈔』(村上勘兵衛、一八八三年)。著者は日蓮宗の僧・漢詩人で、京都の深草瑞光寺を開山した。俗名は石井元政、姉は彦根藩主井伊直孝の側室・春光院……とこれは今調べたのだが、言うまでもなく内容に興味があったわけではない。
明治十六年刊の活版刷の書物、そこが重要なのだ。村上勘兵衛とは今も残る平楽寺書店である。慶長年間創業の版元で、明治十二年に同書店最初(?)の活版刷の書物『西京人物誌』を出版しているが、取り急ぎ、ざっと見たかぎりにおいて、その後、明治十五年十二月発行『小学珠算異乗同除・同乗異除』までは活版の本はないようだ。それが十六年になると六月に二冊、九月に三冊刊行している。それ以外の本は木版あるいは銅版である。
日本おける近代的な活版印刷は、知っての通り、本木昌造によって長崎で実現された。明治二年のことである。その後、本木の弟子たちは三年三月に大阪に活版所を開き、つづいて明治三年十二月、京都に點林堂(てんりんどう)という活版印刷所を創業した(板倉雅宣『活字 東へ』朗文堂、二〇〇二年、による)。
點林堂の最初の刊行物として確認できるものは明治十年七月三十一日発行の『官令節略第一号』で、ほぼ同時に土橋魯軒『塡字初歩』(同八月、日付記載なし)も出ているが、次に来るのはやはり明治十六年の刊行物になる。あまりにブツが少ないので断言はできないけれども、だいたいこの十六七年頃から京都では活版の書物が普及しはじめたと考えていいように思う。
ちなみに上述の職業案内のごとき『西京人物誌』(明治十二年)には「活字印刷」として桂好文堂、村上活版社、煥文堂、點林堂、京都日日新聞社の五件が登録されている。下の写真は三条通柳馬場東入ルの居酒屋で、この建物はわりと最近まで点林堂印刷所だったと聞いている。