
いつもコメントをくださる柳居子氏が、かつての高桐書院を訪れたことがあるという方を紹介してくださった。本日、堺町通三条下ルのイノダ本店の創業当初の店舗(入ってすぐ左手)でお話をうかがった。
高桐書院は昭和二十一年に馬場新二が麩屋町通二条上ルで創業、その後、三条通堺町角に移転している。上は、柳翁より頂戴した「ただいまさんじょう 歴史ある三条通り 歩く・見る・知る いまtoむかし」(京都府建築士会)というパンフレットに掲載された写真。二階建て土蔵造の「日本海上火災」の建物。この二階に高桐書院の事務所があったという。
ただし「日本海上火災」という保険会社は存在しないようだ。おそらく現「日本興亜損害保険」の前身「日本火災海上」ではないだろうか(?)。日本火災海上保険株式会社は、昭和十九年に日本火災と日本海上が合併して設立された。日本火災は明治二十五年、日本海上は明治二十九年創業。図版には《明治末に建てられた》とキャプションがあるので、この建物はどちらかの社屋だったのだろう。
お会いした方は、昭和二十三年に十五歳でイノダコーヒで働き始め、高桐書院へ何度もコーヒーの出前に出かけたとのこと。当時、この建物は真っ黒に塗られていたという。戦争末期には黒く塗っておくとピカドンにも有効だというまことしやかな噂があったのだと柳翁。その頃の三条堺町あたりは静かなもので、四条通を通過する路面電車の音が聞こえたという。イノダの奥には菜園が作られていたし、御池通には雑草が茂っていた。
建物の一階は日本写真印刷が占めており、二階は高桐書院の他に「教育出版」も同居していたそうである。日本写真印刷は昭和十七年に企業合同によって設立され、その代表となった鈴木直樹は昭和四年に印刷業をはじめていた。二十一年に株式会社となっている。現在は四条大宮の西に本社がある。教育出版の刊行物は昭和二十二年から二十四年まで確認できるので、ほぼ高桐書院と運命を共にしたと言えるかもしれない。
また全国書房が御池通にあった頃には社主の田中秀吉もイノダの常連だったという。やはりその時代を知る方にお話をうかがうと、同じ空気を吸ったような感じがして、資料を見るのとはまたひと味違った情報が得られる。深謝です。

現在はこのような風景になっている。手前の「分銅屋足袋」の店舗が変わりない姿を見せているのが頼もしい。
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インタビューの後、尚学堂の前を冷やかして、本命、最近開店したばかりの水明洞第二号店へ向かった。二号店といっても、中井書房を挟んで、一号店の一軒隣。