
『宮澤賢治全集』(十字屋書店、一九四〇年、装幀=高村光太郎)。とりあえず、いいかげんな修理ではあるが、函を直して、架蔵に耐えるようにした。ほとんど手を入れてない第一巻を見ていただくと分かるように、函の背の巾よりも胴体の方がふくれている。この状態で何度も出し入れしたためか、三巻、四巻の函は分解してしまっていた。
ボール紙で裏支えをして背の巾を広げ、和紙(以前『易経』の端本をバラしたのがあった)で不細工だが角を補強した。三巻と四巻で和紙の色が違うのは、三巻にだけ「紅茶」を少し塗ったため。紅茶染でなじませたわけである。四巻は明日の朝の紅茶で。どうしてこの二つの巻がひどく壊れたのか? 三巻は「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など、四巻は「どんぐりと山猫」「注文の多い料理店」などに当てられている、からだろうなあ。それぞれに次のように始まる「序文」が付いている。
《イーハトーヴオは一つの地名である。強ひてその地點を求むるなれば、それは大小クラウス達の耕してゐた野原や、少女アリスが辿つた鏡の國と同じ世界の中、テパンタール砂漠の遥かな北東、イバン王國の遠い東と考へられる。實にこれは著者の心象中にこの樣な状景を以て實在したドリームランドとしての日本岩手懸である。》
高村光太郎の題字がいい。高村の書はだいたいがバラバラな感じなのだが、これはそれがうまく決まっている。彼は黄山谷が好きだった。
《今、このアトリエの壁に黄山谷の「伏波神祠詩巻」の冒頭の三句だけの写真がかかげられている。「蒙々篁竹下、有路上壺頭」に始まる個所だ。多分「書道全集」の図版の原型になった写真の大きな複写と思えるが、人からもらった時一見するなり心をうたれて、すぐ壁にかかげたのである。それ以後毎日見ている。黄山谷の書は前から好きであったが、この晩年の書を見るに及んでますます好きになってしまった。
黄山谷(こうざんこく)の書ほど不思議な書は少い。大体からいって彼の書はまずいように見える。まずいかと思うとまずいともいえない。しかし普通にいう意味のうまさはまず無い。彼は宋代に書家として蘇東坡(そとうば)、米元章と並んで三大家といわれていたが、他の二人とはまるでその性質がちがう。東坡の書も米元章の書も実にうまい。まずいなどという分子はまるでない。》(「黄山谷について」高村光太郎)
黄山谷こと黄庭堅(こうていけん、1045〜1105年)は中国北宋時代の書家、詩人である。洪州分寧(現在の江西省修水県)の人。字は魯直、号は山谷道人、涪翁(ふうおう)。黄山谷と呼ばれることが多い。宋代の詩人においては蘇軾・陸游と並び称され、書家としては蘇軾、米芾、蔡襄とともに宋の四大家に数えられる。宋の時代になって、書に新風を吹き込んだというか、個性を打ち出したとされるようだ。たしかに不思議な字である。一癖あるという感じがする。
高村光太郎旧蔵「黄山谷帖」黄山谷「松風閣詩巻」