『GEORGES DE CHIRICO』(リブレリ・ガリマール、一九二七年)。文庫本より少し大きめの「新しいフランスの画家たち」というシリーズの一冊。デ・キリコがフランスの画家なのかどうかやや疑問だが(ギリシャ生れのイタリア人でドイツの美術学校に入った)、最初にフランスで認められたことは間違いない。「形而上絵画」というのは二番目のようなちょっと黄昏れた心象風景や構成的な静物画をさす。
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某氏より北森彩子詩集『流刑地にて』(花神社、一九八一年)を頂戴した。タイトルからしてカフカへの強い共感があるようだが、一九二六年生れの作者は五十五歳まで《心の奥底に、大きな穴があいていて、その傷口を、いつも、うつろな風が吹き抜けているような思いで、生きて来た》(あとがき)そうである(そう言えば、先日のジェニー・ホルツァーも《その穴は空けておこう》と書いていた)。この詩集を代表するにはふさわしいかどうか、いちおう書物ブログなので「書物」と題された作品をかかげてみる。全文。
長い、ながい、書物だった。長い、ながい、あいだ、身じろぎも
せず、読み耽っていた。
それは、入り組んだ、巨大な青銅の迷宮のような、おそろしい
魅惑に満ちた世界だった。
かれの中を、そして、その黒檀の椅子の周りを、たくさんの月と
星が、たくさんの春と夏が、光の塵を漂わせながら、手をつないで
通り抜けて行った。
最後の頁を閉じて、ふと眼をあげると、鏡の中の、双のこめかみ
には霜がおりていた。
書物の外の世界の夕日は、あり得ないほどにも輝かしく、ひょ
う・ひょうと風が吹いていた。だが、書物の中の日射しは、それと
は違ったふうに美しく、そこでも風が吹いていた。
夕映えの雲に埋れて、頬杖をついて、ひとは考えた。
自分の一日は、いったい、幸福だったのか、不幸だったのかと。
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柳居子徒然(メモ帳欄参照)に「
今だから…昭和さ ある男のぼやき」というブログが紹介されていた。どうやら森繁久彌が管理人らしい。昭和の芸能に興味ある人は必見だ。上田吉二郎と武智豊子、なつかしい!