『ベン・ニコルソン展』(カサハラ画廊、一九七七年)。ベン・ニコルソンはイギリスの画家。一八九四年にバッキンガムシャーのダナムに生れ、一九八二年にロンドンで歿した。日本でも歿年の一九八二年に回顧的な展示が銀座のアートセンターで開催され、小生もタイミングよく上京していたので見る事ができた。とても印象深い展示だった。イギリスの美術家のなかでは、ひょっとして一番好きかもしれない。この図録はそれ以前に大阪の
カサハラ画廊で開催されたときのもの。S洞の店頭で100円。
父
ウィリアム・ニコルソン、母マーベル・プライドともに画家だった。父ニコルソンは、日本でも絵本が刊行されていたり、なにより
山本鼎が
ニコルソンの版画に影響を受けて創作版画(作者自身が彫って刷る木版画)の運動をはじめたというのだから日本とも縁は深い。ちなみに山本鼎は十二、三歳の頃、木口木版の彫版技術を学び、そのときに彫ったのがキリンビールのラベルだったという。
えーと、これは、図録の表3(裏表紙の内側)に以前の持主が描いた鉛筆デッサン。消そうと思えば消せるが、なんとなく可愛いのでそのままにしておこう。
ベン・ニコルソンは(ちなみに奥方は彫刻家のバーバラ・ヘップワースで、二度目の妻だが、彼女と知り合ってから、ピカソ、ブラック、ブランクーシらに近づき「アブストラクション・クレアション」のメンバーとなっている。ちなみに、ちなみにが多いですが、この「アブストラクション・クレアション」には岡本太郎も参加した)一九三九年から五八年までコーンウォール州のセント・アイヴスに住み着く。三番目の写真が
セント・アイヴスでのベン、一九五五年(『BEN NICHOLSON』J.LEWISON, RIZZOLI,1991)。
日本との関わりと言えば、一九二〇年に陶芸家バーナード・リーチと濱田庄司がセント・アイヴスに日本式の登窯「リーチ・ポタリー」を開設したことは民芸好きなら誰でも知っていることである。というか、小生も一九八〇年にセント・アイヴスへ行くつもでバースまではなんとかたどり着いた。ところが、今すぐ理由を思い出せないのだが、なぜかそれを断念、北へ向かったのだった。たぶんとても不便なところだったのだろう。現在では
テート・ギャラリーの分館ができていてリゾート地になっているようだ。
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そうそう明日2日は「にのにのいち」だ。ちょっと行けそうもないが、きっと賑やかだろう。詳しくは貸本喫茶ちょうちょぼっこのサイト参照!(左欄外)