『coto』15号(キトラ文庫、kitora@sikasenbey.or.jp)が届いた。『古本屋を怒らせる方法』の主要なエッセイはここに書いたもので、連載はまだ続いている。今回は「神保町きんいつ五人男」の巻。昨秋、神田古本まつりへ参戦した記録(雨にたたられた)。
ウンチクのお気楽な話題とは違って、巻頭で発行人でもある安田有さんが「死の作法」というエッセイで「死に方」について感想を述べておられる。友人の自死、山折哲雄の尊厳死(断食死)から「なぜ人を殺してはいけないか」へ、そして『罪と罰』やテロリズムの問題に触れておいて安田氏はこう言い切る。
《無〈死〉への衝動は、加虐的であれ被虐的であれ、人の無意識のうちにある。ある契機を介してそれは発現する。自傷行為や他傷行為もその発現にほかならない。殺人を犯した少年にしろ。その死〈無〉の衝動に囚われてのことだと思う》
《いま私は、どのような死も尊厳的でないものはない、と思っている。私たち生者がそう思うならばである。「人の死は人の尊厳である」と深く心に感じたならば、人は人を殺したりしない》
まさに安田さんのような人ばかりなら今すぐにでも世界に殺人はなくなる、と考えるのは少し早計かも知れない。仮に「人の死は人の尊厳である」と皆が思っても、もし「人」が「人」でないなら殺してもいいではないか。「悪魔(サタン Satan)」とは本来は「敵」という意味だ。敵は人でなく悪魔なのだから殺して当然、そういうことになる。人間はやっかいだ。
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『西田書店古書目録』11号に出ていた与謝蕪村の自筆草稿。新発見の句がある。むむ、当然ながら読めない……が、ネット検索でヒットした。
燈を置かて人あるさまやうめの花
具足師の古きやとりや梅の花
柴刈に砦を出るや雉の声
春雨や女ろ花なンと芽に出る
いちおう少し原文に沿って直しておいた。最後は「右夜半翁」らしい。最近は他にも屏風画や採点帖が見つかったりしている。S洞の百円均一にでもころがっていないものかなあ。というところでMさんの古本メール。
《大阪市内をうろうろして、何冊か買いました。珍しいかなと思うのは、「怨霊」エミール・ゾラ大正10年金星堂翻訳文庫裸本200円でしょうか。表紙には大島匡助訳となっているのに扉には関口鎭雄訳と記載されています。はて?国会図書館は関口の表示です。書窓会「まど展」の目録が届きました。かわほり堂が「新絵画の手本 改装本 初 宇崎純一 大3 5500円」を載せていました。安いのでしょうね。天神さんがもうすぐです。楽しみです。》
そうそう、先週、神戸でお会いしたTさんは、さんちかで川端康成の『山の音』(筑摩書房、一九五四年)を買っておられたが、今日、ファックスが届いたのには、調べてみると「けっこう高い本でした」とあった。さすがだ。