山田稔『特別な一日』(編集工房ノア、二〇〇八年、装幀=森本良成)。ノア叢書の新刊である。一九八六年に朝日新聞社から、一九九九年に平凡社ライブラリーから、そして今回が三度目の刊行。開いてすぐ、
《吉田中阿達町二十四番地に私はしばらく住んでいた。門司から京都に移って来た昭和十七年三月から、父の死後、現在の下鴨の家に引越す二十三年四月まで、学年でいえば小学校六年(当時はすでに国民学校と呼ばれていたが)から旧制中学五年のおわりまでの六年間である》
というくだりが目についた。中阿達町というと、息子がしばらく中阿達町に住んでいたので親しみがわく。山田氏はそのころ近所の教会で英語を習った、キャサリン・マンスフィールドの『園遊会』を読んだことをはっきり覚えている、というところから、当時の様子をあれこれ記憶のなかから紡ぎ出す。そしてどんでん返し。このあたり実にウマイ。
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四条のブックファーストへ所用で出かけた。
MAYA MAXX の展覧会が何必館で今日からというポスターが目についたので歩いて行ってみた。ところが入場料が1000円なのだ。う、と詰まって引き返した。すると大和大路通にこのような出店が並び大勢の人が歩いていた。恵美須神社へ向かっているようだ。なるほど「十日ゑびす」であったと気付く。
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京都駅へ転じて、「鏑木清方の芸術展」を見る。こちらは招待券持参。グラフィックな仕事をたくさんこなして、かつては低く見られたようだが、現在は非常に評価は高い。じっさい背筋が通ったデッサン力がある。いわゆる近代の日本画家には案外とそういう画家が少ないのだ。大正十四年作「朝涼」がじつに良かった。青田をバックに三つ編みの娘を真横から等身大に描いた力作。力作といっても、力んでいるわけではなく、なんとも柔らか味のある仕上がりになっている。色彩感覚もすぐれている。
展示の大半は鎌倉の鏑木清方記念館の所蔵品が占めていたが、雑誌の木版口絵のカラーコピーを額縁に入れているのはいったいどういうつもりなのか? 考えられない(文学館のカラーコピー自筆原稿と同じ)。オリジナル版画やデッサンにはみょうなモザイクがかかるようなガラスが付いているし、見にくいことこのうえない。劣化防止なのだろうが、これでは展覧する意味がない。
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駅ビルの大階段を下りていると、なかほどで、ドラマの撮影を行っていた。つい最近「鹿鳴館」で見たばかりの橋爪功が女優(中田喜子のように見えた)とからむシーンをとっていた。たぶん「京都迷宮案内」の新シリーズ。