遠藤周作『周作口談』(朝日新聞社、一九六八年、装丁=原弘)。上が函。きっちりとスキのないデザインで、原弘らしいと言えば言える。なにげなしに装幀で買ったのだが、巻頭から「ランボオ」が登場してビックリ。遠藤は、戦後すぐのころ、慶応を卒業したが就職も決まっていなかった。闇市の飲み屋をアチコチ飲み歩いていたが、仲間の一人が「ランボオという店に行こう」と言ったので付いて行く。
《ランボオは神田の冨山房のうしろにあった。この何の変哲もない酒場はしかし戦後文学を知っているものには忘れ難い場所であろう。そして私にとってもその後、このランボオに行くことで毎日の情熱を燃やすようになったのである。
我々が店に入ると、店は入口近くが狭く、奥が広くなっていた。そしてその広い場所に白いテーブルがおいてあって、その周りに五、六人の男が腰かけ、酒を飲んでいた。友人は私の耳に口をよせ、
「知ってるか」
と囁いた。知らぬと言うと彼は得意そうに、
「ほら、右に少し顔を妙に傾けた人がいるだろ。あれが野間宏。その隣の頭の少しはげた人は椎名麟三。三番目のキョトンとした人が梅崎春生。こちらに背を向けているのが佐々木基一と埴谷雄高さ」
そして彼は視線を窓ぎわに移し、窓ぎわのそばに椅子を二つ並べて、そこにうたた寝をしている男を見ながら、
「あの人は武田泰淳だよ」
と教えた。[略]
その時、横の席から一人の女が出てきて何かを埴谷雄高に言い、突然、唄を歌いはじめた。私はこの雰囲気にすっかり感激してしまい、何て芸術家の集りは素晴しいんだろうと滑稽にも思ったくらいだ。》
この女性がもし武田百合子だったらスバラシイ。この日から遠藤は足繁くランボオに通い、あるとき、店を出ようとして梅崎春生に声をかけられる。そのまま梅崎は遠藤を新宿の街頭易者のところへ連れて行き、遠藤が小説家になれるかどうかを占わせる。易者は遠藤の手をひねくりまわして
「駄目だね。才能もないし、第一、怠け者だよ。この青年は」
と答えたそうだ。それを聞いて梅崎は「では、さようなら」と帰って行った。遠藤にとって文壇という奇妙な世界にふれた最初のできごとであった。
四年後、フランス留学から帰国し、遠藤は『三田文学』に処女短編小説を発表した。合評会で先輩から手厳しく批判されて落ち込んだ遠藤のところへ梅崎から電話があった。
「あの……君の小説が悪口言われたそうですね。あの……ぼくもたびたび悪口、言われたことがありますが、まあ、おたがい頑張りましょう。では、さようなら」
この後も梅崎のふしぎな性格があれこれと実例を挙げてつづられている。拾い物の一冊。
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