茂田井泉編『茂田井武の世界』(すばる書房、一九七六年)。この本に出会って茂田井を知った。茂田井泉(長男)「あとがき」にこうある。
《武の他界後五年目に「茂田井武画集」が発行されましたが、これは当時二千部限定の非売品でありました。そして二十年目にあたる今日のこの本は画集として第二冊目になる訳ですが公刊される画集としては実質的に初めてのものと言えるでしょう》
その通り、伊藤昭・山口卓三による年譜と書誌抜粋も付されており、画集よりもまとまりのいい茂田井入門になっている。
みなみさん、コメントありがとうございます。
その山本夏彦の茂田井に関する記事、《美術学校の試験に失敗して恋仲だった娘に自殺され(この話は当人から聞いたのではない、ずっとあとで知った)ハルビンで似顔絵をかいて旅費をつくってパリへ来た》だが、画集にある阿部光子という人が「若かったころの茂田井さん」について回想している文章では、つき合っていた女性は《モタイ君のフランス滞在中に自分で死んでしまった》となっている。これ以上詳しいことは分からないので即断はできないと思うものの、山本の文章にはときとして正確さを欠いたところがある。作品社の小野松二についても書き残しているので分かるのだが、そこにはかなりの誤伝が含まれている。ただ、小野にしろ茂田井にしろ、他の誰もが注意しない人物を取り上げるところはさすがヘンコツ。
茂田井は昭和六年にイギリスから強制送還されて帰国。いろいろな仕事に就いた後、昭和十年に横溝正史「かひやぐら物語」(『新青年』)の挿絵を描き、初めて画料を得た。翌十一年に最初の装幀本である
小栗虫太郎の『魔童子』(黒白書房、一九三六年)を手がけている。山本夏彦とはふたたび昭和十五年に同じ下宿に住み、十八年には山本のいた出版社・求龍堂で働いたこともある。
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8日のトーク司会のために近代さんの著作数冊を再読、畠中さんらの半畳日記、書肆アクセス関連の記事などをチェックする。これは時間配分が難しいかもしれない。そこへ海文堂の店長よりファックスが入る。佐野真一さんが『西日本新聞』(十一月十四日)に寄稿された「「書肆アクセス」閉店に思う」。
《地方が本という形で東京に情報を発信していた唯一の拠点が、ついに消滅したことを意味する。/それは私はの目には、地方の切り捨てに向かってしゃにむに進む日本のいまを象徴する姿に見えてならない》
なるほど、そういうふうな見方もあるか。これと似ているようで少し違うのが『図書新聞』(十月二十日)の米田綱路氏の意見。
《以外にも関西の情報が多かったことに、いまさらながら驚く。京都の専門書版元に勤めた経験から、出版文化においては関西は東京の亜流で、遺物的なものは別として、「アンチ東京」以外の深い文化発信に欠けると思い込んでいたふしがあった。その空隙を埋める発見をアクセスではたくさん得ることができた》
地方の切り捨てというと、地方が不利益を被る意味に取れるが(むろんそういう面もなくはない)、じつは書肆アクセスの閉店というのは、東京にとってもっとも大きなマイナスになっているのではないだろうか。