ジャック・リゴー『自殺総代理店』(亀井薫+松本完治訳、エディション・イレーヌ、二〇〇七年)が届いた。
エディション・イレーヌに注文してあったもの。
リゴーは一八九八年パリ生れ、十六歳でパリ大学に入学しているから早熟の秀才だった。在学中に第一次大戦に従軍。復員後、ラ・ロシェルやコクトーらと交わる。ブルトンらの機関誌『リテラチュール』に寄稿、ダダのグループに接近する。パリに着いたマン・レイの通訳をして親しくなる。ダダ分裂の後、グループから離れアメリカへ渡る。離婚。仕事もせずにヒモ生活を送り、クスリとアルコールの中毒になってパリに戻った。解毒治療を受け、一九二九年に自殺。三十歳。
ジャック・リゴーはマン・レイの映画「エマクバキア」(1926、目玉を剃刀で切るシーンが有名、表紙写真はこの映画から)に出演している。またルイ・マルの映画「鬼火」(Le Feu Follet, 1963)の原作はピエール・ドリュー・ラ・ロシェルがリゴーを描いた『ゆらめく炎』(Feu follet)。
『自殺総代理店』(Agence Générale du Suicide)のクールなタイトルはアポリネールの『異端教祖組合』を連想させるが(ふつう Agence Générale という名称は不動産屋や広告代理店が使う)、絶望を笑い飛ばすというようなものではなく、あまりに真面目で息苦しいほどだ。
《生きる理由などありはしない、かといって死ぬ理由もない。我々に残された、人生に対して軽蔑を表す方法はただ一つ、そいつを受け入れることだ。人生などわざわざ捨てるにも値しない…
実に便利だ、自殺というやつは。私はそいつを片時も忘れたことはない。便利すぎるほどだ。まだ自分を殺してはいないが。》
新刊案内の栞に『屋上庭園』創刊の予告が出ていた。パンの会の同名雑誌は二号で終っている(1909年10月、1910年2月)。その衣鉢を継ぐような内容になるそうだ。奇特な。
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柳居子様
本支店については何とも言えませんが、
昭和9年製の京城の地図から本町付近の地図を見ますと、本町一から三丁目は南大門から(ということは京城駅舎から)続く日本人街の目抜き通りのようです。絵葉書「
(朝鮮名所)京城本町一丁目(郵便局横)」に見える郵便局の建物の向こう側に南大門があるのでしょう。絵葉書に向かって手前が二丁目方面。南大門周辺の城壁は日本人主導によって一九〇八年に撤去されていました。
沖田信悦『植民地時代の古本屋たち−樺太・朝鮮・台湾・満州・中華民国−空白の庶民史』(寿郎社)という本が最近出たようです。