『昏睡季節』のコピーを小林氏より頂戴したので一部紹介する。詩の価値などはよく分からないが、すでに吉岡実になっているように思われる。『うまやはし日記』(書肆山田、一九九〇年、装幀者=亞令)という昭和十三〜十五年の吉岡の日記が好きなので、ときおり読み返す。そこに記されている生活がここに結晶している感じがする。出征前の、言ってみれば、遺書になりかねなかった詩集である。寸法はおおよそ170×120mm、四六判よりひと回り小さい。
奥付の印刷所「鳳林堂」本田氏は現存する鳳林堂文具店(東京都中央区日本橋小網町13-12)と関係があるように思える。例えば、本田哲也氏(群馬大学大学院教育学研究科ゲスト講師)のHPによると、氏は1958年東京日本橋茅場町生まれ、《曾祖父は日本橋~本郷・菊坂の筆職人「鳳林堂(ほうりんどう)」》だとか。または別のページには《大正6年の「営業者姓名録」を見ると小網町1丁目には[略]、2丁目には[略]、スワン万年筆の鳳林堂……》などとある。大阪心斎橋に「丸山鳳林堂」という書店・文具店もあるが、暖簾分け? かどうだか。また「吉岡實」の印章はそう悪くはないものの素人の作であろう。
印刷ということでは、使用されている活字が何なのか気になるところだ。コピーの版面なので断定はできないが、活字はけっこう荒れている。下の歌には「の」が四個使われているなかに一つだけ別種の活字が混じっている。小さな印刷所では有り勝ちなこと。
書体は東京築地活版製造所の9ポイント明朝体(明治44年頃)とほぼ同一のようだ。ひらがなで言えば「ふ」の頭の点が右にぐっとエビ反ってSカーブがへしゃげた感じになっているのが特徴的。秀英舎〜精興社の「ふ」はおおよそタテのセンターよりわずかに左寄りでSがもっと背筋が伸びたふうになっている。細かいことだが、これは古い味のある書体ではないだろうか。吉岡の好みが反映されているのか、単なる偶然か。
『うまやはし日記』の「あとがき」にこうある。
《最近刊行されはじめた、書肆山田の小冊子「るしおる」に、作品・文章を求められたが、休筆中なので、「うまやはし日記」の補遺で、そのせめ[二字傍点]を果たそうと思った》
『うまやはし日記』は吉岡の最後の著書となり、
『るしおる』は今年五月発行の64号で休刊となった。
÷
蛍火の消えてこの世の闇戻る