
村上春樹『やがて哀しき外国語』(講談社、一九九四年、装幀・本文カット=安西水丸)。ジャズについて書かれた文章を読んで感心した記憶がほとんどない。例外は植草甚一ぐらいだろうか。こちらにジャズの知識が乏しいというのが一因であることは間違いない。しかしこの本に収録されている「誰がジャズを殺したか」は見事だ。
《「これは安い」「これも安い」と買い求めているうちに知らず知らずレコードがたまってしまう。これ以上増やしてどうするのよ、日本にだって古いLPが四千枚もあるのよ、もう置き場所だってないでしょうに、と女房にぶつぶつ文句を言われても、やはり目の前にあるとつい手が出る》
《僕は大学を出てから七年ばかりジャズ喫茶みたいのものを経営していたので、その頃はほとんど朝から晩までジャズを聴いていた》《専業作家になるために店をやめてからは、その反動で、一時期ほとんどと言っていいくらいジャズを聴かなくなってしまった。二足のわらじ時代の後半には、自分ではよくわからなかったけれど、おそらく気持ちがもう「自分でものを書く」という方向にしっかりと切り替わってしまっていたのだと思う。ジャズを聴くのは好きだけれど、自分でゼロから何かを創造するというのはそれとはまったく違った種類のものだ。そういう創りだす喜びを一度知ってしまうと、「ただ聴くだけ」ということを仕事にしているのがだんだん辛くなってくる》
このあたり、もうすこし突っ込んで考えてみれば面白いのではなかろうか。ジャズではなく、経営の問題かな。
「コーヒー祭5」9月29日、30日
trico+ にて開催の案内を頂戴した。マカロンが可愛い。
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