昨日の夕方のTVニュースではまだはっきりしていなかったが、今日ははっきりと
橋爪紳也さんが大阪市長選に出馬する意向を発表した。面白くなってきた。
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『小島輝正著作集V エッセイ集2』(浮游社、一九八九年、ブックデザイン=倉本修)。daily-sumus の2006年5月17日に洛陽書院、小島輝正、谷長茂の関係について知りたいものだと書いた(すっかり忘れていたけど)。それを読んでくださった方が中尾務さんにそのことを伝えてくださったということで、中尾さんからこの本が送られてきた。「忘却のなかから」というエッセイにはじつに貴重な証言が掲載されている。要約すると以下のような内容。
谷長茂は大阪出身、三高から東大仏文で小島の一年下。一九八二年頃に自宅の火事で焼死した。谷長は淀野隆三のやっていた全国書房に勤めていたが、そこがつぶれて東京に出て、生活社で編集長だった佐々木正治(東大哲学出)の世話で生活社に入る。小島は昭和二十三年にやはり佐々木の世話で生活社に入っていた。佐々木は労組委員長となり社長と対立、それによって生活社はつぶれた。佐々木は独立して風土社という出版社を興すが一冊も出さないうちに消滅。小島は谷長とともに「洛陽書院」を創業する。松坂屋百貨店の地下二階に事務所があった。その間に鈴木信太郎・渡辺一夫訳『ふらんす百綺譚』と石垣純二?のエッセー集のたぶん二冊を出した。小島の父の遺産をつぎ込んだがにっちもさっちもいかなくなり早々出版に見切りをつけた。昭和二十五年の春に河盛好蔵訳のゲオルギュウ『二十五時』(筑摩書房、一九五〇年)の下訳の仕事を谷長と二人でやった。その下請け料で神戸大学に職を得るまでの苦しい時期を乗り切った。そのあと三笠書房にいた淀野隆三から『愛の生涯』(ヴジェニー・グランデ)の下訳の仕事をもらった。それは三好達治訳で昭和二十五年九月に出たものだが、あとがきに淀野が下訳をしたとある。じつはさらにその下訳を小島がやっていた。
文中、全国書房とあるのは小島の記憶違い。高桐書院が正しい。先日紹介した『アメリカ文学』第四号の奥付にも編集部の一員として谷長茂の名前が出ている。『ふらんす百綺譚』は一巻と二巻がある。それから《当時ラジオかなにかで人気のあった医者で評論家の石垣純二? のエッセー集》とあるのもおそらく記憶の混乱ではないだろうか。石垣のラジオ人気はもう少し後かもしれない。これは辰野隆の『閑人独語』(一九四九年)だろう。辰野は無意識的に軽んじられていたか。
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ここ何年か背の文字(ヒラの文字もだが)を小さめにアッサリとレイアウトするのが流行っている。近々刊行されるシリーズもののチラシから。上段『世界文学全集』はKAWADE DESIGN WORKS、下段『日本の歴史』は原研哉のデザイン。赤いのはキキメってこと?(キキメは古本用語でセットものの入手し難い巻のこと)
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鈴木創士さんが神戸新聞にデカデカと載った。そのコピーをF店長が送ってくれたので下欄に掲載しておいた。《写真の通りのハンサムで》っておいおい平松記者、メロメロじゃん(!)
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秋暑し茶色の小瓶砕け散る