

このところなぜかマイブームは遅ればせの韓流なのである。昨日、京都の北区にある
高麗美術館へ行った。鄭詔文氏の自宅を美術館として公開しそのコレクションを展示している。鄭氏は開館直後に亡くなられたが、後継の人々によって経営維持されている。一階は所蔵品の展示、二階では書斎など往時の室内調度を再現する。二番目の写真はベランダに並べられた大瓶。
そして本日は
「グエムル」(ボン・ジュノ、2006)をDVDで見た。なかなか諷刺も利いていて、やや展開に無理はあるものの、単なる娯楽作品という以上のインテリジェンスを感じた。映像も美しい。難点は怪物が出過ぎかな……。せめて「プレデター」ぐらい引っ張ってもよかった。
もうひとつ、最近はまっているCDが
黃秉冀(Byungki Hwang)の「Darha Nopigom」(Gayageum Masterpieces vol.5, C&L Music, 2007)。ある在日の人に「ぜひ聞いてください」と贈られたもの。これはちょっと今まで体験したことのなかった音。黃氏は高名な伽椰琴(Gayageum)奏者らしいのだが、これがまた独特のテイストである。小生の知る限りでは和琴よりもカーヌーン(中東の弦楽器)を連想させる響きで、三味線やウード(リュート)に近い繊細さもある。そして何より、スィングしているのだ。ジャズ・ベースのようでもあり、またときにはローリング・ストーンズのようなノリにもなる。現代音楽的なミニマリズムもあり演歌的なパッションもある。いずれにも近く、いずれからも遠い。しばらくは聞き飽きないだろうと思う。
÷
某氏から聞いたところによると、ガケ書房の近くに新しい古本屋
全適堂が店を出すらしい。ネットでやっておられる店だが、地面に降りる。これは百万遍から一乗寺までのブック・マップがいよいよ面白くなる。もう一二軒あれば理想的だ……善行堂が独立するとか?
÷
朝日新聞に書肆アクセス閉店の記事が出たそうだ。ここには具体的な数字が並んでいるが、問題は数字ではないと思う。数字ももちろん大事だろう。しかし要は維持して行こうという意志の有無ではないか。それに関してこういうメールを某氏よりいただいた。
《私は、地方小出版自体が、ほぼ終ったということだと、理解しています。読者と流通が根底から変りつつあり、システムが対応できなくなったということでしょう。アクセスを閉じるのは、片手を自分できってしまうようなことだから。》
《会社、企業としてでなく、小出版社や、自主出版物発行者の中心にゆるい連合体の集約のようなかたちで流通センターがあれば、と夢みたいなことを考えますが。》
精神論はきらいだが、やる気があれば打開策もひねり出せるのではないか。客の顔を見る、本の顔を見る、これが本屋というものだろう(って本屋はやったことはないけれど、古本屋のバイトはかなりやりました)。
÷
ひとりゐて蜂にさされた 山頭火