Kathleen Raine『William Blake』(Thames & Hudson, 2000)。とりわけウィリアム・ブレイクが好きだというわけではないが、その線と色彩の美しさには魅了される。ルネサンスの影響を強く受けながらも、ほとんどまったくルネサンス的ではないユニークな作品を生み出した。
図は『セルの書』(1789)と題された自作の詩画集。一七八九年に『ソング・オブ・イノセンス』と同時に完成させた。輪郭線などの印刷(茶色の部分)はブレイクが独自に開発したという銅版画の技法を用い、彩色は水性絵具によって行われている。
著者によれば、ブレイクにとって神とは「内なる神」であり「想像力イエス」である。また幼児は純粋な生命のエッセンスであり、教育がその存在に付け加えるものは何もない、「生きるものすべては神聖である」だという。
'I have no name,
'I am but two days old.'
What shall I call you?
'I happy am,
'Joy is my name.'
まるで武者小路実篤だね(そう言えば、岸田劉生がブレイクの模倣をしていた時代もあった)。じつのところブレイク自身が夢見がちな子供だったようだ。
《家庭では牧師であり王様だが、へつらい者ではこれっぽっちもない。政治においては過激であり、宗教においてはスエーデンボルグ派であり、いかなる金儲けにも興味を示さない、明らかにブレイクが世間的に失敗することは初めから決まっていたようなものだ》(拙訳)
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『宮本常一写真図録第1集 瀬戸内海の島と町——広島・周防・松山付近』(編著・周防大島文化交流センター、みずのわ出版、二〇〇七年)が届く。なかなかいい感じ。
《宮本常一が残した写真はコマ数にして九万枚以上とも一〇万枚を超すともいわれる。小型で軽量のキャノネットやオリンパスペンを携帯し、旅先で民家に上がりこんで話を聞いている時以外はカメラを手放さなかった》
写真としてどうこうではなく、時代が映っている。それはまさしく小型カメラの時代だ。昭和三十〜四十年代。ばかに懐かしい。そういえばオリンパスペンが田舎の家にも一台置いてあった。ある意味で、カメラ・アイが顔や景色を作る、そんな時代だったのかもしれない。ケイタイで写真というのが当たり前の昨今、宮本が生きていれば、嬉々としてケイタイを操り、あらゆる事柄を記録したに違いないと思われる一冊。(「装幀=林哲夫」に表紙が出ています)
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マン・レイ・イストさま
なんとか運転して帰り着きましたが、まだまだすっきりとは行きません。しかしギクッときた最初が大事のようで、そのとき無理をしなかったのが良かったようです。お互い気をつけたいものですね、お大事に。
そうそう『評伝ジャン・コクトー』にマン・レイが少しだけ登場します。コクトーが撮った『詩人の血』という映画にリー・ミラーが主演したときのエピソードです(p187-188)。