『森芳雄』(日経ポケット・ギャラリー、一九九一年、デザイン=山崎登)。これは神戸の元町にあった丸善で買った。あそこは立ち読みがしやすくて、洋書の画集などもかなりあったので、神戸時代にはわりとよく通っていた。海文堂書店よりも頻繁に立ち寄ったと思う(場所が大丸や元町駅に近いため)。
森芳雄先生は武蔵美の最終学年でクラス担任だった。当時の武蔵美は、いちおう担任が決まっていたが、ほぼ全員の先生が順番に指導に回って来るというシステムだったので、とくにお世話になったという感じはないが、卒業制作を提出したときに講評を受けたことをはっきり覚えている。他に麻生三郎、須田寿、中間冊夫、松樹路人、桜井寛といった人たちが教えていた。たしか中間先生が油絵科長だったか、引退して宮田晨哉(宮田重雄の子息)先生に変わったと思う(記憶では)。
森先生は気が向くと学生の絵にかなり筆を入れていた。この本の年譜によれば、小生が在学中の一九七五年に渋谷東急百貨店で回顧展を開いているが、たしかに見た記憶がある。イタリア留学時代の絵が好きだった。この画集にも載っている「肘つく女」は傑作だと思った。
上図の「二人」は最近、ポスターになっているのを見かけた。紀伊國屋書店が所蔵していて、現在はどうだか知らないが、建て替え前のビルでは常時展示してあったと思う。この絵も好きでよく見に出かけたものだ。ただし画集はいろいろ出ているのに架蔵はしていない。一冊持っていたが売ってしまった。というのも、晩年の作品があまりに物足りないので、画集にするとやや魅力に欠けるのだ。
1950年作の「二人」に付けられた本人のコメント。
《この絵を描いたときは、経済的にも精神的にも、とにかく戦後のどん底だった。紀伊国屋書店の社長に頼んだら気持よく買ってくれて、その年が越せた。長いこと店の正面に掛けてあった。この絵が僕の代表作の一点としてこれほど評価されるとは思わなかった。わからないもんだね。》
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『日本古書通信』936号の小出昌洋「随読随記」は平井成に触れている。
《三村さんの日記、「
不秋草堂日暦」の十五回目が出た。早速ぱらぱらと見始めたら、大正十二年十一月廿一日條に、平井成さんのことが出てゐる。成さんはすなはち正岡容、平井功の父君である。この日三村さんとは発対面だつた。成さんは三村さんに、家庭の乱れてゐることを語つたらしい。この年の平井家は三月に三男を亡くし、五月には妻子と別居してゐたのである》
同じく平井つながりで、平井呈一のことが出久根達郎「荷風の肉筆」に出ていた。谷口喜作は東京上野の菓子商で、その実弟が小泉八雲の翻訳で知られる平井呈一だが、平井は一時期、荷風の愛弟子だったそうだ。上野の菓子商というのは「
うさぎや」のこと。二人は神奈川県平塚市の谷口家に生まれた双子の兄弟。平井は生後まもなく日本橋浜町で炭屋を営む平井政吉へ養子に出されたのである。荒俣宏、紀田順一郎らは平井に私淑したそうだ(平井呈一『真夜中の檻』東京創元社、二〇〇〇年)。