『野田書房臨時通信』(野田書房、一九三七年十月二十八日)のコピー。野田書房主・野田誠三による中原中也の追悼文が収められている。中也は死ぬ一月半ほど前に野田書房から『ランボオ詩集』を刊行した。それについては野田はこう説明している。
《八月、突然、僕のところへ来られて、「ランボオ詩集」を本にして呉れ、もう随分、長いこと原稿は持つて居たんだけれど、ーーと大変、本にすることを急いで居られた》
《出してみると俄然、凄い売行だつた、旬日ならずして、手持品は全部売切、取次店からは追加註文が、しきりなしに来る、手元に一冊も本がないので、書房用の保存本から、自分のために残して置いた一冊も出して了ひ、取次店に頼んで市内の売れてない店から引上げて来たものを註文に廻はすといふ騒ぎだつた》
これに対して中原の日記を見ると、こう書いてある。創元社版(一九五一年)より。
《八月十一日/野田書房より「ランボオ詩集」の初校来る。わりつけが目茶々々なので閉口。》
《八月二十五日/ランボオ詩集三校発送。》
《八月二十八日/ランボオ詩集第四校発送。(責任校了とす。)どんな本になることやら、俺は知らない。/「永遠の中耳炎氏」即ち野田誠三がやることだ。俺は知らない。奴は校正刷を送る以外、何を問い合せても一度の返事もしない。虫のいい奴!》
《九月十五日/上京。野田よりランボオ詩集発送》
《九月二十五日/林、深田、川端三先生に「ランボオ詩集」を届く》
また、九月十七日付の母宛の手紙にはこう書いてある。
《「ランボオ詩集」出ました。お金の代りに五十部呉れましたので方々へ送りました》
野田は中也が八月に訪ねてきたと書いているが、十日ほどで初校が出るほどに組めるものだろうか? 詩集だから出来ないこともないかもしれないとは思うけれども……。先日の大江健三郎が渡辺一夫宛署名入り『ランボオ詩集』を渡辺からもらい、それを中原中也記念館へ寄贈したニュースについて少し何か書こうと思って半日いろいろ探していた結果、上のような疑問が湧いて来た。新しい中也の全集、欲しい。