阪急電車で岡本まで出かけた。キャロル中島、アルトー鈴木の両氏と打ち合わせ。といってもほとんど雑談。駅前のセルフ茶店で四時間以上ねばった。形而上および形而下にわたって、とうていトークショーでは披露できない話題がぞろぞろ、おもにアルトー鈴木氏から出てきて興味が尽きなかった。そのごく一部なりとも再現したいと思うので、26日、海文堂書店へふるってご参加いただきたい。
その話の終わりの方に鈴木氏が内田百閒の芥川龍之介の思い出について熱く語った。中島氏も当然読んでおられて盛り上がった。内田百閒がラリッていた芥川に借金を申し込んだときの様子などを見事に描いた文章である。
上は引っ越しのときに転がり出て来て捨てるに捨てられなかった『芥川龍之介全集』(岩波書店、一九三五年)。題字は長男の比呂志が書いた、いや書かされた。
《私はいやで、いやで、いやで堪らなかった。「漱石全集」「鷗外全集」「子規全集」などの背文字を、父の書斎で見なれている。みな大人の書いた筆の字で、りっぱである。とてもあんなこと出来ない。/ しかも「芥川龍之介全集」と書くのだという。なぜだ。他のより三字も多いじゃないか。》(芥川比呂志『ハムレット役者—芥川比呂志エッセイ選』講談社文芸文庫)
芥川も死ぬ直前に内田百閒のことを推奨した文章「内田百間氏」を発表している。この全集では第八卷に収録されていて昭和二年七月としてある。初出の記載はないが、芥川の本の装幀も手がけ鵠沼で身近に交遊していた小穴隆一の『二つの絵』(中央公論社、一九五六年)によれば「内田百間氏」は『文芸時報』に載ったようだ。
《著書「冥途」一巻、他人の廡下に立たざる特色あり。然れども不幸に出版後、直に震災に遭へるが為に晋く世に行はれず》《内田百間氏の作品は多少俳味を交へたれども、その夢幻的なるる特色は人後に落つるものにあらず》《内田百間氏は今早稲田ホテルに在り。誰か同氏を訪うて作品を乞ふものなき乎》
住所まで書き入れてあるこの心遣いが憎い。七月二十四日に死んだのだから、ひと月前に書いたとしても、すでに死を覚悟していた時期の原稿である。