6日土曜日は昼過ぎにまず高津(かうづ)神社へ出かける。イチジク会という橋爪節也さんたちがやっておられる関西の美術関係者の親睦会に参加。あいにくの雨ながら満開の桜が雨に打たれる風情もまたよし。むろん座敷を借り切っているので硝子戸ごしの花見である。
花見だけかと思ったら、各自秘蔵のコレクションを持ち寄って見せ合うのだそうだ。『sumus』同人の生田氏が大阪にいたときに始まったもので、その頃は本や紙ものが中心だったが、生田氏が東京へ移ってからは、美術品の見せっこ会になったらしい。さすがに珍品ばかりで驚かされる。今回は肥田晧三先生も参加されており、先日の御礼を申し上げる(中之島図書館での講演会にスミカズ絵葉書を貸していただいた)。上の写真は小林かいちを含む昭和初期のさくらい屋の封筒各種。
橋爪さんすっかり酔っぱらって意味不明の発言連発。
「ソ、ソ、ソックラテスか、プラトン社、なんてね(笑)」。
ちり敷きし人のかはゆきさくら雨
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午後七時少し前にダイビルへ。ビル正面で55さんにばったり。入口が分からないというので一緒に西側へ回ってみる。鍵が掛かっている。隣のレストラン(ビルの一角)で尋ねると、カードキーで開けてくれた。じつは東側の通用口が開いていたのだ。
中に入るとすでにかなりの人が集まっていた。会場は三十人くらいで満員だった。廊下や入口付近にも人がたまった。プラトン社の社主中山豊三、副社長で社屋として別宅を提供していた河中作造のご親戚、島良作氏のご親戚の方も見えられ、たいへん熱心に聞いていただいた。おおよそは島氏の中山太陽堂およびプラトン社についての話。そこへ小生が茶々を入れる。
プラトン社は厳密にはモダニズム出版社ではなくその端境期に位置するプレ・モダニズム出版社であると小生は思うのだが、島氏によれば、河中作造の屋敷は大阪の谷町にあって七百坪の広さだったという(tadassan のご指摘により訂正しました)文字通り「タニマチ出版社」ですよとのこと。「こんな出版社、大阪だけじゃなくて東京にもないです」とおっしゃったのが印象に残る。
戦後、新生社が『女性』という雑誌を出しており、同じ名前の雑誌をかつてプラトン社で編集していた川口松太郎がプラトン社の時代を回想したエッセイを載せている。それを島氏が最近発見され、コピーが配られた。中山豊三のタニマチぶりが躍如としている好資料だ。
予定より少々オーバーして終了。その場で打ち上げ。みずのわ氏とNT氏とともに梅田まで出て帰宅。長い一日。少々くたびれた。下は大大阪のショーウィンドウ内の展示。プラトン社の単行本など。展示は4月28日まであります。