イギリス南西部ウェールズにある古書の町ヘイ・オン・ワイ
hay-on-wyeの書店マップとヘイ・シネマ・ブックショップのパンフレット。昨日の目録とともにNTさんに頂戴した。
先日の上京中、ヘイ・オン・ワイみたいな町が日本にもあればいいなあ、という話になった。例えば、神田の古書会館では毎週大量の不要本を処分している。生半可な量ではないという。当然、なかには価値ある本も少なくない。保管する場所さえあればむざむざ裁断されなくてもすむのだ(古書会館で処分するわけだから転売禁止、つぶすのみ)。
バブルの頃、京都の古本屋さんの間でもそんな話が出ていたのを覚えている。そのときは北海道あたりに古本村を作ったらというようなことだったと思う。まあ、北海道はともかく(夕張、もしかして?)、どこか過疎の町を借り切るような形で、倉庫にして、夏場は宿泊施設つきの古本祭りを開催する。映画館古書店なんかもやってみたら面白い。(言うだけならカンタンなんだけどなあ)
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『CABIN』9号届く。山田稔「前田純敬、声のお便り」が絶品。『VIKING』初期の同人だった前田との風変わりな関わりを見事に描いている。そのなかに『en-taxi』で坪内祐三さんが「前田純敬の死」という短文を書いているというくだりがある。
《坪内は、彼の尊敬する福田恆存が有望視していた新進作家として前田純敬を憶えていたにすぎないようだが、いずれにせよ、彼の死について書く若い評論家が一人でもいることに、私はかすかな慰めをおぼえた。》
内堀弘「古本屋大塚書店」もしんみり読ませる。かつての古書界の閉鎖性をスパイスに用いながら一九七〇年代の新しい古本屋の風を感じさせてくれる。当時は古書目録を作る費用が今とは比べものにならないくらい高かったという。
《そんな頃、神田の古書店でリースのワープロを入れた店があるというので一緒に見学に行ったことがある。オルガンほどもある大きな機械に心電図でも映すような小さなモニターが付いていて、「じゃあ動かそうか」というと、そこの主人はおもむろにサングラスをかけるのだった。》
小生も一九八〇年代初め頃に中古の和文タイプライターを買った古本屋さんを知っている。グリコ森永事件(一九八四年)が起こった後、刑事が調べに来たと言っていた。そのタイプライターで彼が目録を作ったかどうかは覚えていないけど。
他に松本八郎「蒐め癖」は少年時代の松本さんがいきいきと描かれている。扉野氏の「能登へ」は加能作次郎の郷里を訪ねる紀行文。これを読んで一句。
小石置く富来に波寄す春のなゐ