岡崎武志『読書の腕前』(光文社新書、二〇〇七年)が届く。章扉に「読む人」がカットとして使われている。本文は読み始めたばかりで全体がつかめていないけれど、まずは快調にスタートしてぐんぐん引っ張られてゆく感じ、スピードのある文体が心地良い。第一章では、読書と時間の問題を、ある意味、哲学的に考察している、むろん岡崎武志流なので、難解な言葉は一切ない。
《本を読んでいる時間が惜しい? いや、ほんとうに惜しいのは、読書の時間を失ってしまったことのほうだ。》
《本を読む時間がない、と言う人は多いが、ウソだね。》
《ただ本を読むことに没頭して、一文にもならないまま無為に過ぎていく時間の甘美さを知っている人がいる。》
企画から出版まで二年もかかったとは思えない、いや、二年かかったからこそ、満を持して矢を放つような勢いがあるのだろう。絶好調という印象を受ける。
時間の次は空間。岡崎氏にとって読書の特等席は、バスの「一人掛け席」「最前列」とくに運転手のすぐ後ろの席だそうだ。《いや、ときどき本気で思うことがあるのですよ。廃車になったバスの「特等席」だけを譲ってもらい仕事部屋に設置しようかと……》。そして書斎という空間についてこう言い切る。
《本棚は防壁であり、書斎は砦だ。そこでは小さな王国の国王として君臨できる。従者も領民もいない孤塁ながら、何者にも侵されず、本といつも戯れていられる。/ささやかだが、確かな男の夢だ。》
ツン読の部分も味わい深い(たしか「ツン読」は早い時期に内田魯庵が使ったようなことを日夏耿之介が書いていたと思う)。《本はけっしてあなたを見捨てない。買ってくれた恩を忘れず、「お見限り」でも、ただ黙って出番を待つばかりだ》……まさに本との付き合いのもっとも大事な部分に触れている。
ベストセラー快読の連載裏話もたいへん面白いが、やはりこの書き下ろし新書の骨頂は第六章の自伝的記述だろう。とくに203頁以下の「決定的だったあるできごと」は、ある意味、岡崎武志を岡崎武志たらしめた本当に決定的な出来事である。このエピソードで本書はぐっと引き締まった。名著なり。
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