『洪水』第6冊(書肆季節社、一九五九年十一月、表紙画=織田博之)。編集者は大塚啓也、発行者は政田岑生(まさだ・きしお)、広島市祇園町大字南下安。貴重な政田の初期の仕事。三冊入手した。じつに端正な編集、レイアウトであり、後年なされる政田の仕事の基盤はすでに出来上がっている。
÷
プルーストは弾切れと思ったら、またまた、つばめさんから貴重なコピーをいただいた。やはりプルーストの翻訳者で『失われた時を求めて』の世界初(?)の個人訳を成し遂げた井上究一郎に関するもの。
『襍誌流域』第二十二巻第一号(青山社、二〇〇〇年三月)掲載の吉田城「忘れえぬページ—井上究一郎先生を偲んで」、および井上究一郎略年譜。前者は鈴木道彦氏による井上訳非難に関する内容。鈴木氏は井上の師である鈴木信太郎の子息。
略年譜によれば、淀野隆三の勧めに従ってプルーストを翻訳し始めたのが昭和六年。雑誌『作品』一九三二年三月号から久米文夫との共訳で『失われた〜』を連載する。それが作品社版『スワンの恋』(一九三四年)、『土地の名』(一九三五年)としてまとめられた。戦後の新潮社版にも共訳者として参加。一九七三年に個人訳『失われた時を求めて』(筑摩版世界文学大系)刊行開始。一九八四年から筑摩版「プルースト全集」の個人訳『失われた時を求めて』を刊行開始(〜八九)。さらに一九九二年には改訳新注個人訳『失われた時を求めて』(ちくま文庫)を刊行開始(〜九三)。一九九九年に九十歳で亡くなっている。
つばめさんが一番好ましく思うという井上訳による「コンブレエ」冒頭と枕の頬の部分。『心の間歇』(弘文堂書房、一九四〇年)より。例によって旧漢字は改めた。
《長い間、私は早くから寝(ルビ=やす)む習慣をとつて来た。時どき、蝋燭を消したかと思ふと、すぐ眼がふさがつて、「眠るんだな」と心に言ふ間もなかつた。》
《私は頬を、ぷつとふくらんだ、みづみづしい、自分たちの子供のころの頬つぺたのやうな、枕の美しい頬に、やさしくおしつける。》
÷
柳居子徒然さま
柳居子徒然たいへん面白く拝読いたしました。その他の記事も京都の事情がよく分かる内容で今後も愛読させていただきます。
÷
プルースト 6 さま
By way of ときましたか。contre なら当然 against だろうかと(手許の辞書もそうなっています)思い込んでいました。なかなかしたたかな英訳ですねえ。プルーストの文章はむろんコンブレエの方が飛躍的にいいと思います。
÷
冬越の垢を流して薯煮える
約御一名様に惜しんでいただいたので、拙吟、できるだけ継続することにした。田舎から馬鈴薯を送るという電話があった。あわてて昨年来の残り薯を煮て食べた。