昔たまたま百円均一で見つけておいた『見出された時』を掲げる。『LE TEMPS RETROUVÉ』(Librairie Gallimard, 1927)。表紙の湿気による染みがフランスの領土に似ている(!)
鈴木道彦訳については、KYO様と、『イギリス的風景 教養の旅から感性の旅へ』の著者・中島俊郎氏にご教示いただいた。御礼申し上げます。
《長いあいだ、私は夜早く床に就いた。ときには、蝋燭を消すとたちまち目がふさがり、「ああ、寝るんだな」と考える暇さえないこともあった。》(1992年訳)
《長いあいだ、私は夜早く床に就くのだった。ときには、蝋燭を消すとたちまち目がふさがり、「ああ、寝るんだな」と考える暇さえないこともあった。》(1996年訳)
名訳の誉れ高いスコット・モンクリーフの英訳は以下の通り(とのこと)。
For a long time I used to go to bed early. Sometimes, when I had put out my candle, my eyes would close so quickly that I had not even time to say "I'm going to sleep."
[Remembrance of Things Past (1922), p. 1.]
この英訳は仏文を逐語的に置き換えるのではなく、かなり大胆に英語的表現として意訳している(そのニュアンスの本当のところはよく分からないけど)。例えば、鈴木訳では 《床に就いた》を練り直して《床に就くのだった》としたわけだが、後者はモンクリーフ訳の《used to go to bed》に近くなっている。過去の習慣を強調しているわけである。
ただ、原文は「複合過去」の形なので 《床に就いた》でもいいのではないか。小生、フランス語の文法は大昔にちょろっと習っただけですこぶる怪しいものだが、過去の習慣を表すときには「半過去」という形を用いるのではなかったか。だから鈴木氏は、一旦は直訳的に《長いあいだ、私は夜早く床に就いた》としたものの、ちょっと待てよ……となったのかもしれない。
五来訳は《いつも私は早くから床に就いた》で、原文にない《いつも》という単語が補われている。やはり《いつも》がなければ日本語としてはヘンだと感じたのだろう。逆に考えれば、イメージがとても鮮明に浮かんで来るプルーストの文体の秘密は、こんな一見無造作な言葉運びにあるのではないか、そういう結論になるような気がする(ってほとんど読んだことありませんけど)。
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本日も貸家一軒の内部を拝見。これが岡崎公園のすぐそばで、図書館、美術館、みやこめっせに徒歩数分の距離。こんなところにこんな借家があったのかという場所。ロケーションは最高だったのだが……。
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晩鮭亭日常につづいてokatakeの日記もhatenaに復帰とのこと。あとは古本ソムリエか。
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ESさま
いいですねえ! ブルトンとかマンディアルグもスンバラしいです。