『加能作次郎集』(富来町立図書館、二〇〇四年)の口絵写真より、昭和十五年五十五歳の加能作次郎。巻末年譜にはこうある。
《この年、郷里西浦尋常小学校(現富来町立西浦小学校)の「校歌」を作詞。/▢「乳の匂ひ」(8「中央公論」/「世の中へ」と並ぶ名品、晩年の最高傑作である)》
作次郎は翌十六年八月五日に歿している。五十六歳は早過ぎる死だった。この『加能作次郎集』はKさんより頂戴したもの。ずっしりとして持った感じのいい本である。講談社文芸文庫『世の中へ・乳の匂い 加能作次郎作品集』も出たことだし、ようやく再評価される時代になったようである。ちなみに以前も書いたけれど富来は「とぎ」と読む。《晩年の最高傑作である》と言いたい気持ちは分からないでもないが、いかがなものか。
神保町系オタオタ日記にも加能作次郎のことが触れられていて、神保町のオタ氏らしい切り口で参考になる。
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『月刊百科』一月号、「追悼白川静先生」を読む。津崎史「私の中の父」に白川先生の最後が淡々と描かれている。
《亡くなる数日前に幻覚症状があらわれました。天井の模様が原稿に見えるというのです。活字があって、ところどころに甲骨文字が見える。何が書いてあるのか──一生懸命見つめていました》
すごい。
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そうそう、『鬣』(たてがみ)二〇号もKさんより頂いていた。内田百間の俳句が特集である。この句が目に留まった。
立春の大手まんぢゆう少し冷たき
大手まんじゅうは岡山の名菓。岡山は百間の故郷。名物にうまいものなしというが、これは本当に美味しい。新幹線で帰省していた頃には岡山駅でよく買ったものだ(讃岐方面は岡山駅で乗り換え)。どういう訳か忘れてしまったが、高校時代にクラスで「大手まんじゅう、ありがとう」というギャグが流行っていたのを思い出す。意味なくこんな台詞を発しては笑い転げていた。