横光利一『刺羽集』(生活社、一九四二年、装幀=佐野繁次郎)をKYOさんよりいただく。この時期の佐野の装幀にはこういった室内画が使われることが多いようだ。マチスの影響を感じさせる。刺羽集の
刺羽(サシバ)とは何かな、と思って調べてみると、鷹の一種であった。鶉などの小鳥を狩るときに用いるそうだ。横光の雑文集といった趣である。石塚友二『方寸虚実』の序文なども収録されている。生活社と佐野は親しい間柄だったので、佐野が横光を紹介したのかも知れない。
巻頭に収められている「秋立ちて」という小品に古本屋が出て来る。早くに死んだ親友の母が毎年同じ時期に訪ねて来るはずなのだが、その年は来ないので心配していると、その母が死亡したという電報が届く。住所もはっきり知らない。とにかく八王子だということは分かったので主人公(横光の実体験か)は出かけて行くことにした。八王子に着いたのは夕暮れで、まず腹ごしらえしようと上がった牛肉屋の二階から表通りの古本屋が見えた。
《古本買ひますといふ看板が見え、武士堂と書いてある。この武士堂にはどんな古本が出てゐるのだらうと、またそれが夕食をすませてからの自然な私の愉しみにもなつて来た》
主人公は仲居に友人の母親の葬式を知らないかと尋ねるが、誰も知らない。食後に店を出て古本屋に入る。
《すると、古本のなかに私の集がすぐ一冊眼についた。
「これは困つたぞ。」
私はかう呟きながら急いで店を出ようとしたが、しかし武士堂といふ店の中に私の集があるのだと思ふと、むげに後ろを見せて逃げるわけにもいかなかつた。私の他に武士堂には夫婦の客が二人ゐて、夫人の方が「これ面白いわよ。」と良人に云つて買ひたげな表情になつた。私もついその方を見ると菊池寛著と書いてあつた。
「それなら大丈夫、買ひなさい。買ひなさい。」
と私は心中ひとりさう云つて武士堂を出てしまつた。》
けっきょく主人公は葬式を見つけられずに帰宅する。
《次ぎの日は秋立つた良い空で風が黍の折れ葉にそよいでゐた。私は俳句を一つ作りたくなり考へるともなく涼しいまま墨をすつた。
秋立つやみ佛の髪(け)の巻きちぢれ》
これでおしまい。武士堂って、武志堂の先輩ですかな。ちなみに『刺羽集』を「日本の古本屋」で検索すると525円から10,000円までかなり評価にばらつきがある。むろん状態が分からないので一概には比較出来ないが、あきつ書店は6,825、中野書店は4,725だった。
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来春、引っ越すことになったので、ぼちぼち本の整理を始める。まあ、それにしてもどうしようもない本ばかりよくも溜め込んだものだ(一冊一冊、小生なりにひっかかりはあるのだ)。図書館で読める、あるいは入手が容易なものは思い切って、三箱古本市および恵文社の冬の大古本市に出してしまおうと思う。
もちろん、佐野本、渡辺本、青山本などはキープするし、作品社関連本その他出版関係もまだ処分するわけにはいかない。最悪、郷里へ送りつけるつもりで片付けよう。