個展会場でKYOさんが、少し前に触れた秋朱之介(あき・しゅのすけ、本名=西谷小助、西谷操とも名乗る)の『書物游記』(書肆ひやね、一九八八年)をお土産に下さった。秋の文章と荻生孝「秋朱之介とその時代」および「書目一覧」、そして別冊付録「座談・秋朱之介を囲んで」(出席者=秋朱之介、岡澤貞行、佐々木桔梗、峯村幸造、斎藤専一郎、伊藤満雄、比根屋英夫、荻生孝)、さらに『本の都』一九九四年四月号の『書物游記』の特集記事が挿んである。
「秋朱之介とその時代」によれば、秋は明治三十六年二月十二日に鹿児島県に生まれた。一高受験に失敗し、伊勢神宮皇学館、正則英語学校を経て、新橋の貯金局の東京振替貯金課に勤める。後に龍星閣を興す沢田伊四郎も貯金局にいた。大正十四年頃に堀口大学を訪ね、大学の雑誌に詩を投稿するようになった。梅原北明から上森健一郎に移っていた文芸資料研究会を手伝い、その編集部から分裂した中山直吉の南柯書院に参加した。
南柯書院を離れて横浜で書局梨甫を起こし、五十沢二郎の雅博那(やぽんな)書房に協力。平井功の『游牧記』に刺激を受けて平井らと面識を得る。昭和六年に以士帖印社を創立。このときに刊行した佐藤春夫『魔女』(上の写真右頁)の表紙画を描いたのが酒井潔だった。酒井は美術学校を出ているという。
江川書房の江川正之らに日本限定版倶楽部の創設をはかるが実現せず。文芸資料研究会で一緒だった竹内道之助と再会し、竹内の興した三笠書房へ編集長として迎えられる。月刊雑誌『書物』を編集、日本限定版倶楽部を設立する。雑誌『世紀』の題字を書いた棟方志功と知り合い惚れ込む。三笠書房を退社し昭和九年に堀口大学の著作のみを限定版として発行する目的で裳鳥会限定版倶楽部を作った。この頃、沢田の龍星閣を手伝う。
昭和十年に裳鳥会を閉めて銀座に移り、驪人社を興す。版画荘に協力する。隣に大阪から出て来た森谷均が昭森社を創立。その手伝いをする。昭和十一年、伸展社を創立。十三年頃から三年ほど第一書房の客員として働く。昭和十七年、神田に昭南書房を設立。看板を青山二郎の兄・青山民吉が書く。翌年、操書房に社名変更。
とまあ、美しい本を作ることに執着した前半生だったことがよく分かった。三笠書房は淀野隆三とも因縁があるので、これは有り難い資料である。
そして、今日はまた、ある方から『書物展望』昭和八年四月号が送られて来た。酒井潔の「フランス一流装釘家の工賃と其作品例」という二頁の記事がありますよ、と同封の手紙にわざわざ書いてあった。これはじつに不思議だ。『書物游記』で酒井潔に何か引っかかるものを感じていた直後の出来事なのだ。酒井潔をググってみると下記のようなページがヒットした。
酒井潔
酒井の葬儀が京都の四条教会で行われたというのも気になる……。