昨日の木版小品のつづき。試し刷りをしてみる。良いような、いまいちのような。紙を替えてみるか、などと思案する。
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「青いパパイヤの香り」(トラン・アン・ユン、1993)のビデオ録画を見終わる。ベトナムはサイゴン、一九五一年に女中奉公にやってきた十歳の少女ムイが十年経って立派な娘になるまでを、独特な陰影のある映像と演出で描いており、一見めでたしめでたしという終わり方なのだが、十年ということは一九六一年である。前年十二月には南ベトナム解放民族戦線が結成され、この年の一月にケネディが大統領に就任、十一月には軍事顧問団を南べトナムに派遣している。ベトナムの泥沼は間近である。
ゆったりした映画の時間(すなわちムイの下働きとしての単調な生活)の背後にも、一九五四年にはディエンビエンフーの戦いでフランス軍が惨敗しベトナムから手を引き、その結果ベトナムは南北に分裂。以後、南ベトナムではアメリカの傀儡政権の圧政時代が続いていた、というやりきれない現実があったわけだ。
そんなことは一切描かず(夜間外出禁止、この言葉ぐらいだろうか、政治を感じさせるのは)、青いパパイヤやとかげや蛙、そして日常生活のなかの人々の愛と哀しみをさりげなく展開させている。次男が蟻をロウソクで殺すシーンが、ある意味、時代の象徴だったのかと、思い当たるくらい。諸処の表現にかつての日本映画との類似を感じさせる佳作である。