
所用あって帷子ノ辻(かたびらのつじ)まで出かける。京福電車の線路際で電車を眺めて時間をつぶす。その後、新丸太町通りのブックオフ太秦店へ。島田康寛『村上華岳』(京都新聞社、一九九九年)を半額で。望月吾一というコレクターへ宛てた華岳の書簡類が写真とともに収められていたので、つい買ってしまった。読み解くのに骨が折れたろうと思われる筆跡である。
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先日入手した『青空関係書簡集』(親和女子大学国文研究室、一九九二年)を読み始める。ほとんどが淀野隆三宛。ブログ化する前に『宮沢賢治全集』の版元十字屋書店について言及したことがあるが(2006/1/27)、十字屋書店は『檸檬』(一九四〇年)も出版していた。といっても武蔵野書院版『檸檬』の紙型をそのまま流用しただけのもので、発行人も十字屋書店・酒井嘉七と武蔵野書院・前田武の連名になっている。その十字屋書店版『檸檬』についてこういうくだりがあった。
浅沼喜実/淀野隆三宛昭和一六年二月二五日付封書
《十字屋に昨日会ふ、中谷にも立会つてもらひ、印税を梶井家に払ふこと、梶井家に詫びをいふこと、後、版を重ねないことなど約束し、兄が十日ごろ上京する故それまでに前田武君とも相談して万事、実行に移せる準備をしておき、兄、上京の時梶井母堂にも兄立会の上で会ふことにしておいた》
浅沼喜実/淀野隆三宛昭和一六年三月一二日付封書
《十字屋の方は本日返事あり前田氏甚だ穏当を欠く様子にて、梶井氏には自分が話をつけ、金も払ふから、十字屋が責任を負ふ必要なく、残金百円も前田氏に渡せといふのださうです》
ま、要するに前田武が十字屋へ『檸檬』の紙型を持ち込み、著者遺族には内緒で本を出させて、分け前を取ろうとした、そういうことらしい。最初の武蔵野書院版『檸檬』の出版に尽力したのは淀野隆三と三好達治だったわけだから、淀野は前田をよく知っている。そのため浅沼は淀野に上京をうながしているわけである。
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七夕の織姫は羽衣を隠された天女だったという話を初めて聞いた。日本をはじめアジア各地ではそのような民話が多く残っているのだとか。「羽衣」というのは水浴をしている天女の羽衣を隠して天上へ帰れなくしてしまい、子どもまでつくらせるお話(こ、これって、今世間を騒がす監禁男と同じじゃないか!)。マインドコントロールされた天女だったが、羽衣を見つけるやいなや、さっさと男と子どもまで捨てて天上に帰ってしまう。それではあんまりだ、とも思わないけど、天女は男に天上へ昇るチャンスを与え、父天神から与えられた難題を解く手助けをするようなストーリーが付け加えられた、のかもしれない。あるいは、地上では明らかに漁民だった男、天上では開墾と耕作を強いられ、洪水で流されてしまう、ということは、織女(織物)が、ふたつの世界を繋いでいる構造とも考えられる。なお今年の旧暦七夕は七月三十一日だったが、うるう月なのでもう一回七夕があるそうだ。
和久傳の西湖を「京都おたべガイド」に掲載しました。