カエさんより小生の誕生日にちなんだ一句をいただく。
誕生日 五十路また一歩蝉時雨
遅い梅雨明け。急に暑くなった。朝、フトしたことで軽いギックリ腰になる。背筋を伸ばして真っ直ぐ立っているのは問題ないが、前屈みになるのが辛くてイーゼルに向かえない。初日が大事だというナベツマの言葉に従い、半日、横になって過ごす。

うまい具合に、有り難くも、Mさんより大槻鉄男『樹木幻想』(編集工房ノア、一九八〇年)が送られて来たので、横になったまま、一気にほぼ読んでしまうことができた。
驚いたことに、「火葬場——木山捷平のこと」にこういう一節があった。『木山捷平詩集』(昭森社、一九六七年)について書かれている。
《 昭和三十年の日付をもつ詩につぎの作がある。
死に場所
死に場所は
火葬場の中がいい
火をつければ灰だ。
きれいなもんだ。
白い骨だ。
昭和三十年に作者は五十一歳である。》
昭和三十年生まれの小生が五十一歳の誕生日にこのくだりを読む(!)、なんと不思議な巡り合わせではないか。感謝です。
この本の奥付けを見ると版元の住所が大淀区豊崎となっている。現在は中津で、ここはもうかなり長いから、初期の出版物ということになるのだろう。盛大な(大阪文学史に語りぐさとして残るに違いないほどの)二十五周年記念パーティが二〇〇〇年に梅田で開かれたので、創立は一九七五年ということになる。opac.ndl.によれば、一九七五年刊の川崎彰彦『わが風土抄』がいちばん古いノアの出版物である。
『樹木幻想』に戻れば、「三好達治の机」という一編が好きだ。三好が東大へ入る時に使っていた机を下級生の友人に譲り、その友人は戦死する。その未亡人から机を譲られた女性から、その机をもらう話である。自宅の書斎で机を眺め、三好の『日光月光集』を置いてみる。
《木製の、古びた机と、敗戦後のざら紙製の、だが、日光月光の名にふさわしい黄色の和紙の表紙のこの詩集は似合った。いつもはない静けさを部屋に漂わせた。》
言うまでもなく『日光月光集』はあの高桐書院の出版物である。
アセテートより『文象先生のころ毛綱モンちゃんのころ」届く。朱色のマーメイドの表紙に白インクで印刷とは、さすが。