
橋本邦助『巴里絵日記』(博文館、一九一二年)より「帽子屋」。「ハウルの動く城」の冒頭でソフィーが帽子を仕立てていたのを見て、思い出した。
菅原克己の『詩の鉛筆手帖』(土曜美術社、一九八一年)を読んでいると、自伝的エッセイ「わが詩、わが夢」に次のようなくだりがあった。旧制師範学校を中退し私立の美術学校も病気のため中退。『赤旗』などのプリンターとなり昭和十年に検挙された。その後は町の図案社でひっそりしていた。結婚早々の頃、ユーモア作家玉川一郎の紹介で伊東屋の宣伝部へ専属として入社する。玉川は伊東屋の嘱託の文案家で、コロンビア(ママ、コロムビア)に勤めていた。しかし宣伝部とは名ばかりで、はなやかな八階の売場を抜けた屋上の掘立小屋で今で言うポップなどをせっせと描いたそうだ。
《戦争が進行するにつれて、デパートでは商品宣伝がやり辛くなり、ぼくの仕事はだんだん閑になって、屋上の掘立小屋から、朝日新聞社の伝書鳩が、大空をぐるぐる回っているのを眺めていたり、売場で女店員と喋舌ったりする時が多くなった》(p182)
出ました、伝書鳩。当時の朝日新聞社ビルはまだ明るいモスグリーンだったろうか? その設計をした石本喜久治は銀座数寄屋橋で設計事務所を開いており、昭和十二年から翌年八月まで立原道造がそこで働いていた。立原の出た東大工学部の一級下には丹下健三がいた。
菅原の戦時中の詩「大切なもの」全文。
そんなにはやく歩くと
きっと大切なものを素通りする。
よそみせず静かに歩こう。
人はたくさんの知識をほこるが
ぼくにはなにもない。
もしたれかが稚いといったら
足もとを見て、
ぼくは正直だったかと自問しよう。
そうそう、先日の海文堂書店でのトークにも来てくれた中嶋氏がネット書店を始めたそうだ。
BOOK ONN、《アートのコーナーに、杉本エマの写真集2冊と串田孫一の本をアップしています》だって!