蟲文庫さんの日記に俳句失念の話題があった。
《「ええっと、波郷、かな.....よせる波.....なんとかなんとか...見て帰る....というようなのなかったですか?」と。わたしもなんとなく覚えがあって、うんうんと唸りつつ、しかし結局その場では思い出せずに、岡山に帰って図書館におもむき『石田波郷読本』で全句にあたるも見つからず。》
えーっと、えーっと、エートマン、最近こういうのが多くてウンチクも困っている。波郷には
年暮るゝ岬の旅やすぐかへす
があるが、「よせる波」も「見て帰る」も出てこない(岬で波を見て帰ったには違いないけど)。お気づきの方はご教示を。
『書肆啓祐堂誌〈黄金の馬車〉LE CARROSSE D'OR』12号届く。久保川清人氏の「こんな本いただいたよ!『皓露抄』を巡って」は神戸の高架下にあった古書店・皓露書林の木版刷り書店票を見つけたことから皓露書林探しが始まるお話。ウンチクも登場する。それにしても五年も前のことだとは、月日の経つのは早いものだ。
『文游』25号届く。鈴木地蔵氏らの同人雑誌。なかなか多士済々。ルビ活字についての論考は興味深く読んだ。また、
《明治このかた出版社は、売れる〈読まれる〉かもしれないとお客〈読者〉に小バクチを打ってきたのではなかったか。しかし、売りもの〈著作物〉には責任をもっていた。わずかなテラ銭で、出版社は糊口をしのいできたはずである。/バクチ打ちの身過ぎ世過ぎを忘れ、詐欺師になりさがった出版社は、いずれ破綻するだろう。自業自得というものである。(S)》
という「最初のページで」が最初のページに掲げられている。十点出して一点売れればいいという現今の「新書」濫発に対して異論を唱えた内容なのだが、出版界というのはいつの時代もそういうやり方でやってきたんじゃなかろうか。これまで《売りもの〈著作物〉には責任をもっていた》と本当に言えるのかどうか。明治時代や大正時代はいわずもがな、昭和初期は雑本の宝庫だし、敗戦直後もきわめていい加減な本が多い。それでいて、破綻しそうでしないから博打や詐欺(白サギ、赤サギ、黒サギがあるらしいネ)に喩えられるんじゃないのか、と思う。
『ちくま』6月号。内堀弘さんの「ちくまの古本・2」は『彷書月刊』創刊の話と雑誌『展望』、そして向井くんの『早稲田古本屋日録』(右文書院)の紹介。そうそう『彷書月刊』の創刊メンバーだったんだ、向井くんのお父さん。
吉田勝栄氏より「袖珍文庫総目録(稿)」(『文献探索2005』金沢文圃閣のコピー)をいただく。例によって綿密な記述だ。二〇〇四年の伊勢丹浦和店の大古本市で《ほぼ全揃いのセットを入手》されたそうである。下図はウンチク架蔵本。三教書院発行。左下のみ集文館。吉田氏によれば、後者は明治四十四年十月から奥付に名前が出ているそうだ。