ルイ十六世の首を切った死刑執行人(bourreau)サンソン(SANSON, Charles Henri 、1740-1806)の手紙がロンドンのクリスティーズに出品されるという。6月7日の
VALUABLE MANUSCRIPTS AND PRINTED BOOKS
というセールス、ロット番号120。落札予想価格は8〜12万ポンド(2000万円前後)だそうである。
集英社新書に安達正勝 『死刑執行人サンソン—国王ルイ十六世の首を刎ねた男』(二〇〇三年)があるようだが、架蔵していないので、辰野隆『フランス革命夜話』(福武文庫、一九八九年)を引っぱり出してみると「断頭吏サンソン」の項にこう書いてある。
《首切りは三代にわたる家の業であった》《この一家の親戚もほとんどことごとく首切り役人で、サンソンを名乗っていたから、それぞれ住所の地名に従って、トゥールの旦那とか、プロヴァンスの旦那とか呼ばれていた》
また、似たようなことを、ミステリー作家ジャック・ケッチャムの「隣の家の少女」(扶桑社ミステリー文庫、一九九八年)のあとがきにスティーヴン・キングが書いている。
《ダラス・マイヤーのペンネームなのだ》《ジャック・ケッチャムは、イギリスの絞首刑執行人に代々受け継がれている名前だし、その名を名乗るアメリカ人が書く小説では、だれも無事には生き残れない》
サンソンは言ってみれば大名の介錯を務める公儀介錯人・拝一刀みたいなものだろう。ただし江戸時代の武士には死刑がなかったので役割は微妙に違う。あくまで介錯(公儀介錯人という役職は小池一夫の創作)。死刑は庶民にだけ適用され、おもに悪質な盗賊・追剥・詐欺が対象だった。とくに窃盗は重罪で三度目に捕まると必ず死罪になった。
死刑執行は町方同心の若手が牢屋敷内の刑場で行った。その場所のことを「土壇場」とも称したらしい(絶体絶命の「どたんば」はここからきたのだね)。同心にしてもやはり首切りは気が進まなかったので、将軍などの様切(ためしぎり)を請け負っていた山田浅右衛門という浪人が頼まれて引き受けることが多かった。その礼として刀の研ぎ代二分(一両の半分)を受け取ったそうで、浅右衛門にはそうとうな収入があったという(以上は稲垣史生『町奉行を考証する』旺文社文庫、一九八五年、より)。
さて、サンソンの手紙はいったいいくらになるのか、出品者は、首を洗って、いや、首を長くして待っているだろう。

図は『調剤術講本』より。