『彷書月刊』5月号、長谷川郁夫氏の連載にランボーの訳詩が引用されている。小林秀雄訳と堀口大学訳の比較である。長谷川氏は堀口訳を他の誰よりも愛するそうである。『地獄の季節(地獄の一季)』から「一番高い塔の歌」(「最高の塔の歌」)。全体のごく一部分。
時よ、來い、
あゝ、陶醉の時よ、來い。
よくも忍んだ、
覚えもしない。
積る怖れも苦しみも
空を目指して旅立つた。
厭な気持に咽喉は涸れ
血の管に暗い蔭がさす。
(小林訳『ランボオ詩集』創元社、一九五九年、下写真)
来ないものか、来ないものか、
陶酔のその時は。
僕は我慢に我慢した
おかげで一生忘れない。
怖れもそして苦しみも
天空高く舞い立った。
ところが悪い渇望が
僕の血管を暗くした。
(堀口訳『ランボー詩集』新潮文庫、一九八八年版)
長谷川氏が『彷書月刊』5月号に引用している堀口の訳詩は同じ新潮文庫版のようだが、最初の二行はこうなっている。
心と心が熱し合う
時世はついに来ぬものか!
さすがにちょっと原文から離れすぎたと思ったのかもしれない。ちなみに原文は下記の通り。
パリ第八大学図書館のサイトから引用。
Qu'il vienne, qu'il vienne,
Le temps dont on s'éprenne.
J'ai tant fait patience
Qu'à jamais j'oublie.
Craintes et souffrances
Aux cieux sont parties.
Et la soif malsaine
Obscurcit mes veines.
ランボオは彼等の他にも、中原中也、金子光晴、村上菊一郎、鈴木信太郎、粟津則雄、宇佐美斉ら色々な人たちが訳しているので、すべて比較してみると面白いだろう。今は、この二人の訳の大きな相違点
J'ai tant fait patience
Qu'à jamais j'oublie.
よくも忍んだ、
覚えもしない。
僕は我慢に我慢した
おかげで一生忘れない。
この二行についてだけ見てみると、小林の《覚えもしない。》と堀口の《忘れない。》は日本語の意味としては全く逆ではないか? さすがに、この場合はどちらかが間違っているに違いない。
貧弱なウンチクのフランス語読解力で愚考するに、à jamais は「永久に」だから「ぼくは永久に忘れる」、そして文頭のQueを願望の接続詞と考えれば、「ぼくは永久に忘れたい」となり、そうすると続く二行「怖れも苦しみも空へと旅立った」が生きてくるのではないだろうか。
ネットで検索すると粟津訳ではこうだった。これが自然かと思う。
おれはこんなに我慢した、
もう永久に忘れよう。